■良好なコスパと実測馬力の高さで人気を獲得
実験車的な性格を持っていた初代コスモを経て、REをいよいよ本格的に量産化するために生まれたのが、1968年7月デビューのファミリアロータリークーペである。
10A型REというエンジン型式が継承されたことでもわかるとおり、基本ディメンションはコスモ用と共通の491cc×2。乗用車用ということでポートタイミングは中低速重視のセッティングとなり、100ps/7000rpm、13.5kgm/3500rpmというスペックに仕上げられた。
構造面で注目されるのは、サイドハウジングの材質がアルミからスチールに変更になったこと。生産性と同時に、耐久性を考慮した設計変更といわれている。
このファミリアロータリーが驚異的だったのは、実速で180km/hオーバーが可能だったことだ。
当時の日本車のカタログ表記はJIS規格による測定で、例えばドイツのDIN規格に比べると軽く1〜2割は甘かったのが実情。そのため、同時代のハコスカGT-Rはカタログ160psを誇ったが、実速最高速はいいとこ190km/hどまりだった。
ところが、同じJIS馬力でも何故かREは限りなくDIN馬力に近い実力があって、100psでも180km/h出てしまう。新車で150万円のハコスカGT-Rに対して、ファミリアロータリークーペの価格は半額以下の70万円。この驚異的なコスパの良さによって、ロータリー人気に火がつくことになる。
■ハコスカと死闘を演じてますます人気に
マツダはこの当時「ロータリゼーション」と銘打ってREの拡販を進めて行くのだが、その流れを加速すべく投入されたのが、1970年5月デビューのカペラロータリーに搭載された12A型だ。
パワーアップとドライバビリティ改善を目指し、マツダREはここで初めて排気量を拡大。ローターハウジングの厚さを10mm拡大して排気量を573cc×2とした12A型REが登場する。
120ps/6500rpm、16.0kgm/3500rpmというスペックは、70年当時の国産車としてはほぼ最速。
このエンジンはのちに登場するサバンナにも搭載され(サバンナRX-3)、国内ツーリングカーレースでハコスカGT-Rハードトップと死闘を繰り広げるのは皆さんご存知のとおり。この12A型REによって、第一世代REはいちおうの完成をみたと言っていいと思う。
■高性能だが高燃費のREがオイルショックで大打撃
ところが好事魔多し。ここまでパワーとスムーズネスで快進撃を続けてきたREに突然の試練が襲いかかる。
きっかけは1973年に勃発した第一次石油ショックによる原油価格の高騰。それまでリッター50円台だったガソリン価格が、1974年を境いに2倍以上に値上がりしてしまう。
こうなると、燃費性能の劣るREには大逆風で、日本のみならずアメリカでも販売に急ブレーキがかかる。また、それに追い打ちをかけるように国内外で排ガス規制が強化され、高性能が売り物のREにとって市場環境が一気に暗転してしまったのだ。
これ以降のREは燃費改善と排ガス浄化システム開発が大きなテーマとなるのだが、REにとって厳しかったのは当面選択できる排ガス浄化システムがサーマルリアクター方式しかなかったことだ。
この方式は、理論空燃比より濃い混合気を供給してNOXの発生を抑制し、排気ポート下流で未燃ガスを反応させてCOとHCを減らすというメカニズム。
ただでさえ燃費の悪いREにリッチ混合気は理解に苦しむところではあるが、キャブレター仕様では他に方法がなかったというのが実情。12A型REはのちにキャブ仕様のまま希薄燃焼化して燃費を大きく改善するのだが、それには1979年まで待たねばならなかった。
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