懐かしのボディカラー復活! 覚えていますか?「このクルマにこのボディカラー」

■5代目ファミリア/真っ赤なファミリアが一大ブームに

当時、真っ赤なファミリアに乗ってルーフにロングボードを乗っけてサーファー気取りの”陸(おか)サーファー”がたくさんいた
当時、真っ赤なファミリアに乗ってルーフにロングボードを乗っけてサーファー気取りの”陸(おか)サーファー”がたくさんいた

 さて、ここからはあまりにも懐かしくて、おじさん世代にとって涙がちょちょ切れそうなボディカラーを振り返ってみたい。

 1980年6月に登場した5代目ファミリアは社会現象になるほどの一大ブームを巻き起こした。当時の若者なら誰もが欲しがった「真っ赤なファミリア」である。

 特に人気の高かったのが、真っ赤なボディカラーのXG。ルーフキャリアにサーフボードを載せたスタイルが大流行し、”陸(おか)サーファー”という流行語も生み出した。 

 ルーフにサーフボードを載せ、ダッシュボードにミニチュアのヤシの木を生やし、原宿あたりにナンパに行くという、”陸(おか)サーファー”ブームも作った。つまりモテるファッションアイテムになったのである。

 この5代目ファミリアが、マツダを倒産の危機から救う大ヒットとなった。デビューからずっと販売台数を伸ばし続け、約3年後の1983年2月まで33ヵ月連続で前年同月比の月間販売台数増を更新し続けるという、驚くべき売れ方をみせた。

 当時はカローラが国内販売の絶対王者だったが、ファミリアは8回も月間販売台数1位となる。カローラを、マツダ車が上回ったというのはまさに驚天動地だった。

XGのインテリアはスポーティで若者の心を捉えた。第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。当時の価格は1500XGが103万8000円
XGのインテリアはスポーティで若者の心を捉えた。第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。当時の価格は1500XGが103万8000円
もっと古い世代では、映画『幸せの黄色いハンカチ』に登場した赤い4代目ファミリアのほうが印象に残っているかもしれない
もっと古い世代では、映画『幸せの黄色いハンカチ』に登場した赤い4代目ファミリアのほうが印象に残っているかもしれない


■1982年の新車販売台数 ファミリアvsカローラ
・1982年1月:ファミリア/1万524台、カローラ/1万763台
・1982年2月:ファミリア/1万4088台、カローラ/1万5237台
・1983年3月:ファミリア/2万1063台、カローラ/2万7251台
・1982年4月:ファミリア/2万759台、カローラ/1万6453台
・1982年5月:ファミリア/1万5731台、カローラ/1万5693台
・1982年6月:ファミリア/1万8556台、カローラ/1万7289台
・1982年7月:ファミリア/1万7538台、カローラ/1万9455台
・1982年8月:ファミリア/1万2381台、カローラ/9398台
・1982年9月:ファミリア/1万5603台、カローラ/1万5794台
・1982年10月:ファミリア/1万7220台、カローラ/1万4449台
・1982年11月:ファミリア/1万2874台、カローラ/1万7357台
・1982年12月:ファミリア/1万5634台、カローラ/1万8291台
・1982年累計販売台数:ファミリア/19万1971台、カローラ/19万7430台

■FFジェミニ/セイシェルブルー

「街の遊撃手」というキャッチコピーで1985年5月に登場した、いすゞFFジェミニ
「街の遊撃手」というキャッチコピーで1985年5月に登場した、いすゞFFジェミニ

 1973年に勃発した第四次中東戦争をきっかけとする「第1次オイルショック」により、それまで右肩上がりだった日本の景気は急減速し、当時幼稚園児だった筆者の家の経済状況も、ちょっとシャレにならない状況となった。

 だがそれでも街には「オレンジ色の三菱ギャランGTO」や「黄色のダルマセリカ」などが走り回っており、少なくとも「道路上の活気」のようなものは十分にあったような記憶がある。

 だが1979年1月のイラン革命に端を発する第2次オイルショックが起きると、人々の自家用車のチョイスもいよいよ保守的かつ渋い感じとなり、シルバーや白などの地味な、あるいは差し障りのない色のクルマが増えていった。

 そんななか、1985年5月に颯爽と登場したのが「セイシェルブルー」の2代目いすゞジェミニだった。

 GMのオペルカデットなどとボディを共有する初代に代わって1985年にリリースされた2代目ジェミニは、いすゞとしては久々の純オリジナルモデル。端正なデザインは工業デザイン界の巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロによるものだ。

 そのジウジアーロ先生によるデザインも素晴らしかったFFジェミニであり、「街の遊撃手」というキャッチフレーズとともにパリの街を縦横無尽に疾走するテレビCMも、もちろん素晴らしかった。

 しかし初期のイメージカラーであった「セイシェルブルー」が人々に与えた影響というかインパクトも、その後のFFジェミニをヒット作に育て上げた一因であるはずだ。

 なにせ当時、こんな色味の日本車は(記憶によれば)存在しなかったどころか、おそらく誰も想像すらしていなかったはずだから、とにかくインパクト大だったのだ。

 ちなみにこの色の名称はセイシェルブルーだが、普通に見ればターコイズブルーである。

 だがターコイズとは呼ばずにあえてセイシェルブルーとしたのは、1983年の松田聖子のヒット曲『セイシェルの夕陽』によって、海外リゾート地といえばホノルルぐらいしか知らなかった当時の日本人が、東アフリカ沖にある「セーシェル諸島」という楽園の存在を知ったから――なのかもしれない。

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