■5年の間にF1のパワーバランスも様変わり
AMG50周年の記念事業としてコンセプトカーが発表されたのはメルセデスF1が無敵を誇った2017年だったから、早いものですでに5年が経過してしまった。
変わらずルイス・ハミルトンがメルセデスユーザーであり続けていることがほとんど唯一の朗報だったというべきで、それ以外のこのハイパーカーをめぐる環境(会社の戦略、ライバルの出現、社会的要請など)は大きく変わってしまった。
そんななかでこのクルマ最大のポイントである「F1と同じエンジン」をロードユース用に手懐けることがメルセデスの予想以上に困難を極めたようだ。
それ自体、昔からあるアイデアで一見簡単なように思えるが、すべての分野において複雑に進化し、高性能化した現代のF1パワーユニット分野において、その頂点にあるエンジンをプリウスと同じ速度で走らせるということは、ホンダがマクラーレンF1への供給を断った30年前と比べてもさらに難しいことだったに違いない。
何しろアイドリングだけをとってもF1では4000rpmのところを1500rpmまで落とさなければならない。そこから始まった苦難の行末がすべてわかっていたならば、メルセデスの首脳陣は例えその時に酷く酔っ払っていたとしてもゴーサインを出さなかったに違いない。
複数電気モーター+高出力バッテリーシステムをコラボレーションさせるだけでも大変(アキュラNSXやフェラーリSF90がそうだ)だというのに、エンジンそのものの熱対策から排気ガス、始動性、安定した回転と魅力を失わない制御、耐久性まで、「F1」の二文字が増しただけで開発のハードルは数倍の高さに跳ね上がっている。
■苦難の末に市販化を実現
正直、市販は難しいんじゃないか。開発の遅れが伝えられるたび、筆者はそう感じていた。なぜならこのプロジェクトの厳しさはF1エンジンをただ手懐ければいいという次元にあるのではなく、F1エンジンだろうがなんだろうが、それをスリーポインテッドスター付きのクルマを作ることにあると筆者は思っていたからだ。
フェラーリやアストンマーティン(といった小規模専門メーカー)ではなく、「メルセデスAMG」が市販するクルマであったことに、その実現の難しさがあったように思う。
どういうことか。例えば皆さんはトヨタ(GR)のスーパースポーツ計画を覚えていらっしゃるだろうか。レクサスブランドなど将来的な含み(要するに時間)は残されているとはいえ、ル・マン5連覇を果たしたGR010の公道バージョンで登場という線は事実上、立ち消えた。
開発途中の火災やハイパーカーレギュレーション変更など、キャンセル理由についてさまざまな憶測が流れたが、車体概要やスペック、価格、限定台数はいうに及ばず、実際に顧客まで絞り込んでからの開発中止は尋常ならざる事態だった。
結局のところ、トヨタのエンブレム(GRでもレクサスでも同じ)をつけたロードカーとして成立させることが難しかったからではなかったか。逆に言うとメルセデスAMGが発表にこぎつけた苦労を最もよくわかっているのがトヨタの開発陣だろう。
■メルセデスという大看板が発売することに意義がある
餅は餅屋に任せろとはよく言ったもので、筆者は以前からスーパーカーは専門メーカーのほうが市販に漕ぎつけやすいと断じてきた。世界最速のスーパーカーを数百台生産する会社よりも、年に何十万、何百万という台数を作らなければならない会社のほうがプロダクトの品質基準が厳しいのは当然のことだ。
誰もが安心して扱えるメーカーの基準(スタンダード)で台数のかぎられた高性能スーパーカーを作ることは本当に難しい。筆者が日産GT-RやホンダNSXに一定以上の評価を与えたいと常に思う理由もまたそこにある。
メルセデスAMGはスリーポインテッドスターのエンブレム(つまり安心、安全)を付けたF1エンジン搭載のスーパーカーを作りあげた。
実際にそれが本当にメルセデスクォリティであるのかどうか、実際のプロダクションモデルを見たうえで、またオーナーの評価(メンテナンスコストなど)を聞かないことには本当の判断はできないけれども、まずはそのデビューを拍手喝采で迎えたい。
恐らく、スペックだけで「口プロレス」に勝ちたいようなお金持ちには適さないクルマだ。メルセデスの安心感でF1体験を望むリッチなテックマニアにこそ乗ってもらいたい。
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