三菱コルトの復活で考える「一度途絶えながら復活したMMC車列伝」

■初代プラウディア&ディグニティ(1999年)→2代目プラウディア&ディグニティ(2012年)

2000年から販売された初代プラウディア。日本車史上で最も短命に終わったクルマと言われる悲劇のクルマで、その販売期間は1年1カ月と超短命だった
2000年から販売された初代プラウディア。日本車史上で最も短命に終わったクルマと言われる悲劇のクルマで、その販売期間は1年1カ月と超短命だった

 1999年にショーファーユースが中心だったデボネアの後継車として登場したプラウディアとディグニティ(後者はロングボディ)の初代モデルは、韓国のヒョンデにも供給されるという成り立ちはFF化された2代目と3代目のデボネアと同じである。

 しかし、初代プラウディア&ディグニティはV8エンジンの搭載など、2代目と3代目のデボネアがギャランΣやディアマンテをストレッチした成り立ちだったのとは違う、力の入ったモデルでもあった。それだけに初代プラウディア&ディグニティは当時のキャデラック同様にFF車だったこともあり、快適性の高さなどを理由に「和製キャデラック」という異名があったほどだった。

 だが、初代プラウディア&ディグニティは登場直後の2000年に三菱自動車のリコール隠し問題が起きたこともあり、2001年3月に絶版になるという短命に終わってしまった(ヒョンデへの供給は継続された)。

 プラウディア&ディグニティは2012年に復活するのだが、復活したプラウディア&ディグニティは現行フーガとシーマのフロントマスクを代えた程度のOEMだった。そのため三菱自動車のショーファーカーは初代プラウディア&ディグニティで、デボネア時代によく言われた「三菱グループのためのクルマ」というイメージが払拭しかけたのが、復活したプラウディア&ディグニティで元に戻ってしまった。

 復活した2代目のプラウディア&ディグニティは一般ユーザーには本当にほとんど関係のないクルマだったこともあり、2016年にヒッソリと姿を消した。

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