「伝説の名車」と呼ばれるクルマがある。時の流れとともに、その真の姿は徐々に曖昧になり、靄(もや)がかかって実像が見えにくくなる。ゆえに伝説は、より伝説と化していく。
そんな伝説の名車の真実と、現在のありようを明らかにしていくのが、この連載の目的だ。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る。
文/清水草一
写真/トヨタ
■壮大なクラウンの歴史を眺めてわかること!
新型クラウンが、猛烈に話題を集めている。
「次のクラウンはSUVになる」という報道を目にした時は、「信じられない」「クラウンをSUVにするくらいなら、いっそ消滅させるべきだ!」と思ったが、フタを開ければ「クラウン クロスオーバー」は、見たことのない、不思議なカッコよさを持っていた。
今後1年半以内に順次登場する予定の「スポーツ」「エステート」も、斬新で素敵じゃないか! 「セダン」はセダンだけに最も保守的だが、決して悪くない。
トヨタ様に脱帽である。ここまで変身すると、「クラウン」という名門のプレッシャーも感じないし、完全に新しい、カッコいいクルマとして受け入れられる。豊田章男社長のおっしゃるとおり、クラウンの明治維新である。
では、クラウンの15代にわたる江戸時代が暗黒だったかといえば、そんなことはない。なにしろクラウンは初の国産乗用車。徳川家康どころか、アマテラスオオミカミみたいなものだ。
が、カーマニア的見地に立つと、少なくとも私が乗った経験のある5代目以降、ほとんどのクラウンは「暗黒」だった。それは、ぶわんぶわんにソフトな足まわりと、「昭和の応接間」的なダサい内装を持つ、超絶おっさん臭いセダンであり続けた。
徳大寺有恒巨匠の『間違いだらけのクルマ選び(1984年版)』は、7代目クラウンを「日本の交通事情が育てた奇型的高級車」と評している。クラウンは、メルセデスやBMWなど、アウトバーンで鍛えられたドイツ製高級車とは対極の存在で、カーマニアにとっては、「古き悪しきニッポンの象徴」であり続けた。
しかし、2003年に登場した12代目クラウン、通称「ゼロクラウン」以降は、カーマニア目線でも、かなりまともなクルマになった。それと引き換えに、やたらソフトな足まわりなど、かつてのクラウンらしさは大幅に失われたが、かなりしっかり走るようになり、デザインもスポーティに変身した。このゼロクラウン、徳川幕府で言えば、『暴れん坊将軍』吉宗にあたるだろう。
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