2022年8月31日、日産自動車は「マーチ」の国内販売を終了すると明らかにした。すでにタイからの輸入を終了させており、在庫がなくなり次第、販売終了となる。
日産「マーチ」は1982年に初代モデルがデビューして以来、約40年に渡って販売され続けた。そこで、本稿では日本を代表とするコンパクトカー「マーチ」の歴史を振り返る。日産の名門車はどうして廃止に至ってしまったのだろうか?
文/渡辺陽一郎、写真/NISSAN、ベストカーweb編集部
【画像ギャラリー】40年の歴史に幕! 日産の名門コンパクトカー「マーチ」の歴代モデルをギャラリーでチェック(14枚)画像ギャラリー国産コンパクトカー市場をけん引した日産初代マーチ&2代目マーチ
今は軽自動車の販売が好調で、国内で新車として売られるクルマの40%近くを占めるが、コンパクトカーも根強く約25%に達する。軽自動車を除いて小型/普通車に限ると、コンパクトカー比率は約40%になる。
コンパクトカーの人気車には、ヤリス、ノート、フィットなどがあり、全長を4m前後に抑えた5ナンバー車が中心だ。つまりSUVが売れ筋といわれる今でも、国内販売の60%以上は、軽自動車を含めてコンパクトな車種になる。
そして国産コンパクトカー市場をけん引してきた主力車種として、日産マーチが挙げられる。初代モデルは1982年に発売され、コンパクトカーの先駆けになった。当時の開発者は「海外でも販売する世界戦略車だから、多額の開発コストを費やせた。エンジンやプラットフォームなどを新開発して、内外装のデザインは、ジウジアーロから売り込みがあったのを採用した」と振り返る。
初代マーチは人気車になり、1992年には2代目にフルモデルチェンジした。2代目マーチは水平基調のボディで前後左右ともにウインドウの面積が広く、視界も抜群に良い。少なくとも国産小型乗用車の歴史を振り返って、2代目マーチ以上に、車庫入れのしやすいクルマはないだろう。
しかも、2代目マーチの外観は、視覚的なバランスも優れ、工業デザインの本質を突いていた。そのために2代目マーチは、発売の翌年となる1993年から1997年まで、長期間にわたり1カ月の平均登録台数が約1万1000台に達した。2021年に日産の国内最多販売車種になったノート(ノートオーラを含む)が、1カ月平均で約7500台だから、当時のマーチは絶好調に売られていた。
ちなみに当時のトヨタは、コンパクトカーとして4代目スターレットを販売していた。その開発者が「ウチ(トヨタ)が日産に(販売面で)負けているのは、スターレットだけだ」と悔しそうに語ったのを覚えている。この開発者の気持ちが、衝突安全性能とボディ剛性を大幅に高めた5代目スターレット、それに続く初代ヴィッツのヒットに結び付いた。
2002年に発売された3代目マーチも、2代目の流れをくんだ視界の良い可愛らしいボディが特徴で、内装も上質だから人気車になった。2003年には1カ月平均で約1万300台が登録されている。
ただし2002年には、エンジンやプラットフォームをマーチと共通化した背の高いキューブも2代目にフルモデルチェンジして、売れ行きを伸ばした。2004年には同じ日産から上級コンパクトカーのティーダ、2005年には実用性を高めた初代ノートも加わっている。
そのために3代目マーチは、いわば身内にユーザーを奪われていくが、発売から6年を経過した2008年の時点でも1カ月平均で約3900台は登録されていた。
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