■なぜ生き残っている速度リミッターの自主規制
自動車工業会に日本メーカーのスピードリミッターの設定について問い合わせてみると「自主規制とよくいわれますが規制でありません。自動車メーカーが個別に対応するということです」とのことだった。
乗用車両の最高速度制限に関する日本メーカーによる自主規制の起源についても聞いてみると、昭和50年に国土交通省が自動車メーカー各社に口頭で内容を通達したとされ、書面等で公式に残されたものではないという。
具体的な速度設定については、どう決められたのかについては「高速道路の6%の上り勾配を100km/hの車速を維持するには、平坦路では180km/hで走行可能であることが必要」とされ、同様に軽自動車は140km/hに設定されることになった経緯があるという。
スピードリミッターの制御に関しては、1980年代に採用が始まった電子制御による燃料噴射と車速センサーを組み合わせて燃料噴射を停止するという、今から考えれば少々乱暴ともいえる速度制限が行われていた時代もあった。
現在では機能的にはECUによるスロットルなどを含めたパワートレインの統合制御が基本となる。
どうも日本車の感覚でいえば、スピードリミッターすなわち「速度抑制装置」の解除というと、公の規制として法定速度(公道での上限速度)が存在するのだから、どうしてもアウトロー的なイメージがつきまとう。
かつて1990年代の一時期の280ps自主規制のような場合を含めて考えてみると、そもそも法律上の車両保安基準が存在しないことを考えれば、システムそのものの「合法」「違法」を問い正すまでもない。
現代ではECU(エンジンコントロールユニット)のプログラム変更などにより速度リミッターの解除が可能なことは、クルマ好きなら承知しているはずだ。
ただし、速度リミッター解除がもたらす安全上の「社会的リスク」、かみ砕いて言えば、他人を巻き込みかねないような、車両の性能限界を超えた違法な暴走行為が問題なのだ。
だからこそ先のタイプRやGT-Rが主なクローズドサーキットでのリミッター解除が許されるわけで、要は操る人間側のモラルに関わる要件といえる。
速度リミッターの解除については、本来ならパフォーマンスを求めるドライバーが理性と欲望を天秤にかけて判断すべきであり、最終的にはよく言われる「自己責任」にたどり着くことになる。
たとえば、日本ではほぼ一律に実施されている速度抑制は、海外の自動車メーカーは車種・グレードごとに対応しており、コンパクトカーでもスポーツグレードには未設定という場合がある。
法定速度やPL法が存在する世の中においても、自動車メーカーはユーザーを選べないのだから、使い方はあくまで所有する側に委ねられている。
理想論的ではあっても、ドライバーが自主的に理性を抑えられれば問題なく、極論すれば日本での速度リミッターは、メーカーのユーザーに向けての「お節介」あるいは官憲への「忖度」という領域に触れているともいえる。
コメント
コメントの使い方リミッター付けた理由は、当時、最高速度を爭うような表現が多く、しかも高速道路が延伸されそれに伴い、ドライバ-が速度超過事故が多く発生したため。
まぁ、その昔キャブレターの頃は100キロ超えるとチャイムが鳴りましたからね。ダッシュボード裏探ればチャイムが簡単に見つかりコネクタ外せば鳴らなく出来た。まぁ、とあるマンガではキンコン鳴いていたが。
GPSてカーナビで判断しているの?
カーナビの配線抜けばどうなるの?
ギャラリー画像の中にR32GTRのコックピットと書いてあるのに写真がGTS-tの写真で笑った
サーキットを走る以外はリミッターがあっても全然問題はないだろう、裏を返せば無くても問題はないって事だろうね。
120km以上出す必要性は全くない、だすことは違法なのだから誤差を考慮しても130km出れば十分。一部の違法承知でスピードを出すドライバーに配慮する必要はない。なお、一般道区間では60kmが最高なのだから誤差考慮しても70kmでいいと思う。
ごく一部のユーザのためサーキット走行をでのリミッター解除ができるというメリットは希薄すぎると思う
確かにこの方が書かれているのは正論だと思います。しかし、もしそのような規制が行われていたとしたら、今頃日本の自動車メーカーは生き残ってはいなくて、全て外国車が占めていたでしょうね。