マツダ5チャンネル体制時、オートザムから1992年に発売された軽スポーツカー「AZ-1」。軽自動車唯一のガルウイングドアを採用するなど、強烈な個性を放ったモデルだ。マツダはなぜこのようなマニアックすぎる変態マイクロスポーツカーを作れたのか? マツダ AZ-1誕生の経緯とすごさをご紹介する。
文/片岡英明、写真/MAZDA、HONDA、SUZUKI、ベストカー編集部
【画像ギャラリー】ABC軍団と呼ばれた個性派軽スポーツ「AZ-1 」「ビート」「カプチーノ」をギャラリーでチェック!!(20枚)画像ギャラリー個性派軽スポーツ「AZ-1」の開発経緯とは?
1990年春に軽自動車は、安全性を高めるためにボディサイズを拡大するとともに排気量の上限を550ccから660ccへと引き上げている。税制改革で消費税が導入されたこともあり、この先の主役は商用のボンネットバンではなく5ナンバーの乗用車になった。乗用車なら選択の幅は大きく広がる。
1980年代後半、軽自動車はパワーウォーズが激化していた。この流れに乗り、2人乗りの高性能スポーツカーを生み出すことだって可能だ。しかも排気量は110cc増えたから扱いやすいクルマに仕上げられる。
昭和から平成に変わりつつある時期のマツダは元気いっぱいだった。バブル景気を追い風に5チャンネル体制を築き、ユーノス・ロードスターを筆頭に、コスモやRX-7など、スポーツカーの開発と販売に熱心に取り組んでいる。また、モータースポーツにも意欲的だ。ル・マン24時間レースにはロータリーエンジン搭載のグループCカーを投入している。
4ローターのレーシングロータリーエンジンを積むマツダ767Bを走らせていた1989年の秋、第28回東京モーターショーが開催された。マツダブースで視線を釘付けにした軽自動車規格のコンセプトカーが「AZ550スポーツ」だ。
目を引いたのは、レーシングカーのように超軽量なフレームの上にFRP製のボディ外板を被せていたことである。驚かされたのは、ボディを着せ替え可能としていたことで、3タイプのボディタイプが展示された。「タイプA」はスーパーカー的なフォルムだった。「タイプB」はクーペスタイルだ。そして「タイプC」はグループCカーのようなデザインである。
多くの人は単なるショーカーだと思っていた。だが、マツダのエンジニアは、その1つを量産化しようと本気で考えていたのだ。ショーの後、立ちはだかる困難をひとつずつ解決し、市販に向けて動き出している。エンジニアの執念をバブル景気が後押しする形となり、市販化にゴーサインが出された。
マツダの業績は伸びていたし、販売チャンネルを増やしたから車種を増やしたいと首脳陣も考えていた。そこでオートザム店に向けたマイクロスポーツの「AZ-1」を開発することにしたのである。
コメント
コメントの使い方面白いクルマですよ!2台所有してます。
言われる程にハンドリングは怖くないです。
でも油断してると事故リます。
購入した当日に廃車した人もいます。
下手に国産車だと考えずイギリス製のキットカーだと思えば部品探しも楽だしエンスー入門にピッタリですね。
私の意見は異端だと思いますがAZ-1は楽しいクルマですよ。
初心者には勧めません。
挙動の穏やかなロードスターかS660の方が良いです。
バブルだったからねえ。
中々すごい車でしたよ。低速域では良く曲がるんだけど。高速域では落ち着きなく怖かったな。RRに近いから、よく回るしねぇ。ジムカーナには良かったみたい。
後足の位置が左にオフセットしてるんで、ペダルの位置が。