【R32GT-Rら名車が続々登場!!】平成元年とは日本のクルマ界にとってどんな年だったのか?

■901活動を進める日産車の走りに驚いた!

(TEXT/片岡英明)

 排ガス対策が一段落し、高性能化に拍車がかかった1980年代の半ば、日産は高性能を使いきれるシャシーとサスペンションの開発に力を入れるようになる。エンジニアの間で暗黙の了解となったのが「901活動」だ。これは「1990年までにハンドリングやシャシー性能を世界一にする」という社内の啓蒙活動だ。

901連絡会を作り、意思の疎通を一本化した。この設計哲学から1989年に生まれたのが、洗練されたハンドリングのR32スカイラインとZ32フェアレディZ、そしてインフィニティQ45である。1990年にはFFセダンの革命児、プリメーラを送り出した。

走行性能を重視し、走りの復活を目指してGT-Rも投入された8代目スカイラインをはじめ、当時の日産車の走りは評価が高かった

スカイラインとフェアレディZはヨーロッパの名門メーカーを驚愕させたし、プリメーラはライバルがベンチマークとして徹底的に分析を行っている。

平成の最初の年、日産は今につながる新しいハンドリングの扉を開いたのだ。すでにフリーで仕事をしていたが、R32系スカイラインの走りには度肝を抜かれた。

『ベストカー』1989年6月26日号より

■消費税3%導入で自動車販売は何が起こっていた?

(TEXT/遠藤 徹)

 30年前の1989年は自分にとって最も豊かな年であり、最も充実していた時期だったことを思い出す。国内の新車販売は1989年が725万6490台、翌1990年は777万6838台で過去最高を記録した。バブル経済の絶頂期だった。

物品税が廃止となり消費税が導入されたわけだが、これによって自動車は10%以上が値下げされ、好景気と相まって新車販売はピークに達したわけである。

新車市場は拡大の一途で登場するニューモデルは何でも売れゆき好調で新記録続出だったことを思い出す。

トヨタ MR2

ハイソカーがブームになりマーク2、ローレルなどが月販1万台、SUVもCR-Vやパジェロが9,000台から1万台も売れた。マツダと三菱自動車が5系列店、ホンダが3系列店と複数チャンネル制を敷いて増販攻勢をかけたりした。

自分自身の仕事も次々に依頼が舞い込み、カー雑誌、週刊誌、単行本の締め切りに追われる毎日だった。

■モータースポーツも熱かった!ブームに沸いた1989年のF1を振り返ると?

(TEXT/津川哲夫)

 平成元年、自分にとっては1989年といったほうが納得しやすい。1987年に鈴鹿にF1が登場して3年目。

F1界はセナ人気が頂点に達し、F1にセナ以外を見ている人は極めて少ないという異常事態になっていた。特に日本ではマクラーレンホンダの快進撃でF1人気が沸騰していて、なかでもセナは英雄・アイドル扱いされ、人々はセナを担いで、バブルに踊った時代だった。

平成元年は最強マクラーレンホンダのチームメイトであるセナとプロストが激しい鍔迫り合いを演じた。最終的に鈴鹿のシケインで起こったセナとプロストのクラッシュ問題で実に不愉快な形でシーズンを終え、プロストがチャンピオンになった年だ。

セナとプロストによるチャンピオン決定の舞台となった鈴鹿は、2人が接触して終わる結果に

その鈴鹿のレースで結果的に我がチームのベネトンに乗るナニーニが非力なフォードエンジンで優勝したものの、セナ・プロスト事件で陰が薄れ、優勝したにもかかわらず、表彰台ではまばらな拍手だけで、日本からの評価もなく、レース後に誰もがセナ・プロストを語るばかり。実に悔しい思いをした平成元年の鈴鹿F1であった。

平成バブルの日本中がセナというスーパースターに酔いしれ、F1だけでなく、自動車も社会も実体のない興奮に浮かれ続けた、そんな年であった。しかしこのおかげで日本でのF1が始まり今も続いているのも確かなのだけど。

次ページは : ■国内レースではバブル景気の影響が現れはじめた

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