徳大寺有恒氏の美しい試乗記を再録する本コーナー。今回は、1983年秋に初となるフルモデルチェンジを果たしたVWゴルフ、そのGTI 16Vを取り上げます。
徳さんにとっても日本のクルマ好きにとっても忘れられないクルマといえるVWゴルフ。そのゴルフに待望のアルミ製ツインカム16バルブエンジンを搭載したGTI 16Vが正規販売。
これぞホットハッチといえる気持ちのいい走りは、絶賛され日本でも大人気となった。『ベストカー』’87年3月26日号初出の試乗記を振り返ろう。
※本稿は1987年2月に執筆されたものです
文:徳大寺有恒
ベストカー2016年4月10日号「徳大寺有恒 リバイバル試乗」より
「徳大寺有恒 リバイバル試乗」は本誌『ベストカー』にて毎号連載中です
■「ファミリーカー」ゴルフが果たした“変貌”
それはすべてVWゴルフ GTIから始まった。1974年初代VWゴルフがデビューして2年が過ぎてからGTIは登場した。
1.6L、4気筒エンジンはKジェトロニックが与えられ、ベースとなる1.6L、82馬力を大きく上回る110馬力にスープアップされていた。
この時から、本来一家に一台というファミリーカーたるVWゴルフはまったく違う、あるプレステージを得るようになった。
VWゴルフGTIが単に速いだけだったら、ヨーロッパで新しいカテゴリー〝GTIクラス〟はできなかったであろう。
VWゴルフGTIはVW社の予想を大きく上回る売れゆきを示し、アウトバーンを支配し始めた。アウトバーンの支配者はポルシェなどを別にすれば、メルツェデス・ベンツ、そしてその下にBMWがいる。
これ以外のクルマはすべて2車に蹴散らされていく。ましてVWブランドはスピードの点ではまったく立場は低く、いつも左側を開けて走らねばならない。
ところがである。このいじめられっ子のVWが突然一番左のレーンを走り、あろうことかシュツットガルトのスター印やバイエルンのプロペラ印に対してパッシングライトを浴びせるようになったのだ。
私が初めてフォルクスブルクを訪れたのは1977年。4時間という条件で真新しいシルバーのGTIを借り出すことに成功した。私の乗るGTIはメーター上で200km/hオーバーし、メルツェデス・ベンツSクラスにすらパッシングをかけたのである。
Sクラスは明らかに動揺していた。なぜ“あんなヤツに”。しかし、やがて彼らも納得するようになる。フロントエンドに赤のストライプ(VWゴルフGTIが始め、以後スーパー2BOXのシンボルとなった)の入るゴルフは特別なゴルフなのだと知ったのだ。
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