自販機に飲料水を補充する業務を担うボトルカーは、どのように生まれ、進化してきたのか? 100年以上の長い歴史を持つ、ボトルカーの進化の系譜を辿ってみよう。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部、写真/須河車体
※2024年12月発売「フルロード」VOL55より
ボトルカーのご先祖様は「棚」?
現代のボトルカーの直接の祖先は、馬車あるいはトラックの荷台に、ガラス瓶ケースを積み込むための棚を設けたもので、約100年前に米国で生まれたと考えられる。
ガラス瓶ケースの運搬は、例えば平ボディに積み上げても可能で、現代でも行なわれている。それをなぜ、わざわざ「棚」に収めて運ぶ必要があったのだろうか?
それを発案した人物や経緯を記した資料を見つけることはできなかったが、棚の理由はおそらく、運行の途中で瓶ケースを1つずつ取り出しやすいからである。そしてその瓶ケースに納められていたのがコカ・コーラだ。
ボトルカーを語るうえで避けて通れないコカ・コーラ
コカ・コーラ(CC)社は、瓶コーラを製品化する前から「ルートセールス」という販売方法を実行していた。これはCC社の営業マンが、コーラ原液を小売店に直接卸して回るという、清涼飲料水では前提のなかったビジネス手法である。
1894年の瓶コーラ製品化は、米国各地にCC社フランチャイズのボトラー会社(瓶コーラ生産会社)を生み、さらに需要を呼んでいく。そして瓶コーラのルートセールスに欠かせなかったのが「ルートカー」だ。
当初は馬車が使われ、1910年頃から徐々に自動車も使われるようになった。もちろん平ボディだが、馬車のなかには棚付き荷台も見られる。これがボトルカーの先祖だろう。
断定はできないものの、1920年代までに棚付き荷台のトラックが現れ、1930年代にはCC社以外を含めて棚付きボトルカーが普及していたと見られる。
日本で最初に使われたボトルカーは米国製だった!?
日本では1907年(明治40年)、本邦史上初のトラックが上陸し、瓶ビールの運搬で使われたとされる。棚付きボトルカーが日本で登場するのは太平洋戦争終結後で、それをもたらしたのもコカ・コーラだ。
日本に進駐した米国のいくつかの施設内には、CC社の将兵向け用コーラ生産設備があり、ボトルカーも使われていた。1955年(昭和30年)に日本最初のボトラー会社が誕生した際、そのボトルカーが40台譲渡されたのである。
このボトルカーは、米国から持ち込まれた左ハンドル車で、フォードの小型トラック「F5」に棚付き荷台を架装したものだった。しかしピックアップ型は回転半径が大きく、運転に苦労したドライバーが多かったという、。
そこでボトルカーを国産化することになり、当時都内に存在していた富士見製作所が荷台開発を受託。1958年(昭和33年)3月に完成させた。ベース車は日産の2トン積小型トラック「ジュニアキャブオールC40型」で、「ラック車」と呼ばれた。
のちのボトルカーのトップメーカー、須河車体の参入
1960〜63年(昭和35〜38年)にかけて、国内の大企業がそれぞれ個別にCC社とフランチャイズ契約を締結し、在京1社を含めて計16社のボトラー会社が揃った。そのためラック車の調達も個別に行なわれ、富士見製作所以外にも供給する車体メーカーが現れる。
そのひとつが須河車体で、1960年に近畿エリアのボトラー会社からラック車を受注している。
同社資料には、初期のラック車の姿が記録されている。側面は棚が露出し、リアエンドはやや寝かせた全面パネルというスマートなスタイリング。上モノはスチール製で、棚の手前にあるパイプのみステンレス。庫内は白色の塗装仕上げだった。
レギュラー瓶(6.5オンス/190ml)用ケースを計108ケース積載可能だったが、120ケースを積載するバージョンも製作されたようだ。またボトラー会社の社史によると、ベース車はキャブオールといすゞエルフだったという。