日産ティアナが、生産終了となる――。
北米では「アルティマ」の名で人気を博し、スタイリッシュな姿と広い車内、サイズの割には手頃な価格で評判がよかった、日産ティアナ。
現行ティアナ(L33型)は、2013年に登場した3代目で、初代のコンセプト「モダンリビング」と、2代目の「おもてなし」のいいとこどりをした上に、「走りの楽しさ」も加えられたクルマだ。
(※現行のアルティマは6代目へモデルチェンジしている)
セダン不振の影響があるとはいえ、カムリやマツダ6、アコードなど、国産ラージFFセダンは、(販売は苦戦しているかもしれないが)日本国内でもまだまだ販売している。なぜティアナはモデル廃止に追い込まれてしまったのだろうか。
文:吉川賢一、写真:日産
ティアナの足跡と功績とは?
まずは、ティアナの足跡と功績を振り返ってみよう。初代ティアナが誕生したのは2003年2月。それまでのセフィーロやローレルといったアッパーミドルセダンの後継車として登場した、高級ラージFFセダンだ。
2003年は、倒産間際まで追い詰められた日産が、ゴーン元社長の指揮の元、復活の道筋として打ち出した3か年計画の「日産リバイバルプラン(2000年4月~)」を1年前倒しで達成し、次の中期プラン「日産180(ワンエイティ)2002年4月~」を始めた翌年だ。
倒産を免れるため、資産売却や村山工場廃止、大量リストラなど、大規模な整理をしたあとであり、前年まで100名以下の新入社員が、その年以降、1000名近くにまで急増するほど、人材を集めていた時代であった。
新型車を市場へ大量投入して世界へ打って出る、という「ただならぬ勢い」が日産にあった時代でもあった。
「モダンリビング」コンセプトの浸透が、ティアナの最大の功績
話を戻すが、初代ティアナのコンセプト「モダンリビング」は、非常によくできた概念だったと思う。
それまでの日産は、901活動などを通して培った「走行性能の高さ」を最大のセールスポイントとして打ち出し、自らを「技術の日産」と呼んでいた。
そして、その「走行性能の高さ」をアピールする戦い方が「正しい」と思い込んでいた。そんなときに、初代ティアナは「走行性能の高さ」よりも、「インテリア」を一番に強調したのだ。
セリングポイントであったインテリアは、センタコンソールやダッシュボードには木目を模したパネルがあしらえられ、シートは北欧家具のソファにも見える豪華なもので、まさにモダンリビングのコンセプトを具体化していた。
特に筆者は、「パールスエード」というシート素材の手触りが大好きであった。また助手席には、ふくらはぎを支えるオットマンが備えられており、これも実に快適な装備であった。
「こんな軟弱なクルマは日産車ではない」と思った方も中にはいたかもしれないが、実は、走りについて手を抜くことはなく、しっかりとした作りこみがなされていた。
トップグレードには3.5リッターV6エンジンを搭載し、その気になれば鋭い加速と、滑らかなエクストロニックCVTによって、非常に上質な走りを実現していた。
つまり、「走り」だけの日産から「インテリアのセンスも良い」というイメージを、世間に打ち出していた。初代ティアナは日産のターニングポイントともなったクルマだったのだ。
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