老舗暖簾をかざした頑固経営が仇となった
もちろん43年の歴史の中で近代化へのチャンスは多く存在した。
いち早くウィングカーを受け入れた1970年代、新興ホンダを受け入れた1980年代、新進気鋭のエアロデザイナー、エイドリアン・ニューウェイを見つけた1990年代、それぞれの時代で巧みにトレンドとアイデアを受け入れてきた。
ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングがまだ若く吸収力が際立っていた時代だ。
しかし多くのネガティブな事象が存在していたのも野心と野望に溢れた若きチームの時であった。
フランクの大きな自動車事故、チームのリーダーが脊髄を傷め車椅子の人となったことから、ウィリアムズチームの歴史はその方向に僅かなズレが生じてきた。
ホンダを世界チャンピオンに押し上げながら、ウィリアムズ側の頑固な老舗主義が経営と技術双方で、ホンダと同等なパートナー関係を結べなかったことが現在に至るまで尾を引いたといっても過言ではないだろう。
英語ではアロガント(arrogant)と言う表現がなされるがこれは“尊大”と言う意味だ。
チャンピオンの歴史を積み上げたのは素晴らしいことだが、結果チームはこの“尊大”さを、身に纏ってしまい、真摯に学ぶことを忘れ始めていた。
ニューウェイの放出とBMWとの確執
また新進気鋭のデザイナー、エイドリアン・ニューウェイを見出し、その手中に収めて再びウィリアムズ時代を築きながら、フランクとパトリック・ヘッドはこのカリスマ・デザイナーのマクラーレンへの移籍を引き止めることができなかった。
老舗主義の大店的上下関係を崩せず、近代的な成績主義へと切り替えることができなかったからだ。
ニューウェイを手放した時からウィリアムズの老舗主義は崩壊へと歩み始めた、と言っていいかもしれない。
その後の人事はマネージメントでもテクニカルでもF1界の常識から悪い方向に外れてゆき、人事的な失敗を現在に至るまで続け、その失敗に気づくことなく、遂にはすべてを手放すに至ってしまった。
失敗は、BMWとの共闘にも現れていた。
ウィリアムズはその歴史の中で搭載したエンジンはコスワースに始まり、ホンダ、ジャッド、ルノー、BMW、コスワース、トヨタ、コスワース、ルノーそして現在のメルセデスに至っている。
この間BMW搭載時にそれなりの成績は残したものの、関係は極めて悪化し、その後の衰退に拍車をかけている。
喧嘩両成敗ではあるけれど、ウィリアムズ側の経営・外商手腕を持つマネージメントの欠如、強いてはリクルートの失敗がBMWとの確執を生んでしまったのだ。
求心力を失ったチームにいい人材は残らず
もちろんウィリアムズの老舗主義がすべて悪いというわけではないのだが、超近代化してきたF1界では、その近代化こそが戦いの中枢なのだから、もはやウィリアムズ型老舗主義は太古のものになってしまっているのだ。
ウィリアムズは現代にまで生きてきて、遂に駆逐されてしまう太古の恐竜だったのかもしれない。
人事を含め現在のウィリアムズの衰退は一貫したリーダーの不在が大きい。フランクはもう大分前から経営・運営の一戦から離れていて、体力的にも経営に携わるほどの力はなくなっている。
フランクの最大の失敗はワンマン経営・運営をし続けてしまい、彼の後を引き継ぐ人材の養成を怠ったことだろう。これはパトリック・ヘッドにも大きな責任がある。彼もまたエンジニアリングの人材養成を怠ったからだ。
尊大な老舗主義は早期の出世を望む力ある人材を引き止めることができず、簡単に放出してしまい、いざ新たな人材を探せば、すでにウィリアムズの状況は知られているので、クラスAの人材は敬遠し、クラスBの人材、それも多くは他チームで居場所を無くした人物が数多くなってしまった。
経営の柱は人材であることは何もF1だけの話ではない。信頼できる人材を引きつける、ある時からそんな求心力を失った老舗チームウィリアムズ。ウィリアウム一家の同族経営で戦える時代は、もう遥か昔に終わっているのだ。
老舗の活躍した時代はF1の最も熱かった時代、情熱と野心が人々を魅了した時代に生きたフランク・ウィリアムズ。
フランクの情熱と戦いの足跡は歴史に残り、F1のレジェンドとして永遠に語り継がれるはずだ。
ただそれは現在進行形から大きく外れ、遠い昔の物語としてではあるが……。
コメント
コメントの使い方