■初めての愛車カローラで魅せた“ドラテク”
高校時代には、漫画『サーキットの狼』(1975~79年)の人気もあってスーパーカーブームが起き、クルマへの思いは募るばかり。18歳になれば免許が取れる。
「高校3年になって、早く生まれた同級生から順々に免許を取っていくのを見て、うらやましくてね。オレは9月生まれだから」
誕生日を迎えて、早速免許を取得。最初のクルマは、トヨタが誇るベストセラー、カローラだった。
「父親が経営する会社の営業車が1台あまっていたので、もらったのね。最初はぶつけるからって言われてたから、これでいいやって思ったけど、恥ずかしいじゃないですか。だって、スポーツカーしか頭になかったわけだから。ボディの紺色はいいけど、バンパーとかヘッドライトグリルとかをゴールドに塗って。ボディの下にラインを入れたり。ホタルランプを付けたり。(ウインカーの点滅が速くなる)ハイフラッシャーにしたり。フェンダーミラーをドアミラーにしたり。エンジンをチューンナップするのはもったいないけど、見てくれはどうにかしようかなと」
そうやって自分好みに仕立てた愛車で、友人と走りに出かける日々。ところが高校時代のある日、ヒヤリとしたことが…。
神奈川県の海沿いを通る西湘バイパスを、友人と3台で走っていた時のこと。後方から来た1台が、車線をふさぐようにして割り込み、抜いて行ったという。この“あおり行為”に憤慨した友達のマツダ・サバンナGT(RX-3)が追っかけた。そうすると、いきなりそのクルマがブレーキを踏んだ。接触したのだろうか。TAKUのカローラの前で、サバンナが突然、スピンを始めた。西湘バイパスは片側2車線。ぶつかるか、横をすり抜けて回避するしかない。免許取り立てで、最初に訪れた大ピンチだった。
「サバンナがちょうど、後ろ向きになった時に、横の車線からすり抜けて大丈夫だったの。それで路肩に止めて『大丈夫かっ!』て見に行ったら、助手席の友達がルームミラーにしがみついていて(笑)。シートベルトが義務化されていなかった時代だからね」
初心者マークのドライバーだったが、何とか天性のドライブテクニックで事故を免れたのだった。
カローラ時代には似たような思い出がまだある。銀蝿デビュー前にメンバーで最初の写真を撮る時のことだ。撮影にはバイクが必要だった。TAKUは3人兄弟の長男で、真ん中の弟が持っていた。それで一緒に向かったという。「撮影場所の横浜からの帰りに横浜新道で弟の単車がクルマにあおられて。怒った嵐さんが『やっつける、追っかけろ!』って(笑)」
メンバー全員がTAKUのカローラに同乗していたが、嵐が助手席から降りて、弟のバイクのタンデムシートに乗りかえた。第三京浜道路(横浜と東京をつなぐ有料道路)で追いついて謝罪させたという。「弟のバイクのケツに乗った嵐さんの革のコートが、風でびよーんってなびいて。その光景が今でも目に焼き付いています。思えば、オレのカローラにそのまま乗っててもよかったのにね(笑)」
■“初ドライブ”でJohnnyとバッタリ!! 帰り道には悲劇が…
TAKUが嵐と出会ったのは、大学1年生の頃。雑誌で「バンドメンバー募集」の告知を見て、連絡を取ったのがきっかけだ。5歳上で兄貴のような存在。慕って、とにかく付いて回った。当時、ビル清掃のバイトをしており、貯めたお金で本当に欲しいクルマを探していた時だった。嵐はクルマのブローカーもやっており、見る目がある。購入時には同行してもらった。
この頃、目当てのクルマはZからトヨタのセリカ1600GTに興味が移っていた。エンジンは4気筒で高性能のDOHC(ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)。正面バンパーが髭のように見え、ボディに丸みがあることから“ダルマ”の愛称を持つ名車だ。当時でもパワーウインドウやエアコンを装備していた。何と言っても、スポーティーな外観が気に入っていた。
「買値は70万円ぐらい。オレはまだガキんちょで見る目がないけど、嵐さんは頼りになる目利き。クルマの下にもぐって『これ、事故車じゃねえか?』って指摘してくれて、値切り交渉もしてくれたのね」
運転技術も学んだ。「『スピンした時、壁が見えたらアクセルを踏め』とか。第三京浜から横浜新道に入っていくところで、ここはスピンしやすいからって。そんな事をよく教えてもらった」
セリカ1600GTは待ちに待ったスポーツタイプ。購入初日の夜に、東京から第三京浜を経由して神奈川県の江の島方面にドライブに出かけた。目的地から折り返して、鎌倉市の海岸沿いの国道134号を再び自宅のある東京方面へ。すると、左のレストラン駐車場に見覚えのある赤いクルマが止まっていた。Johnnyの愛車セリカ1600STだった。
「それでメシをご馳走してもらって。じゃあねって別れたんです」
メンバーと会う偶然に気をよくして帰路についたのだが…。実は夜に出かけたのには、理由があった。「最高速を出さなきゃ、限界にチャレンジしなきゃ、(セリカの)限界を知りたいって思って」。3車線ある第三京浜は、“とばせる道路”だ。夜のほうが空いている。
「深夜、帰りに再び最高速に挑戦したら、20キロオーバーで捕まっちゃって…」。覆面パトカーを追い抜いてしまったのだった。憧れのスポーツカーをようやく運転できた記念すべき日に、「免停」というほろ苦い思い出が残ってしまった。
2020年12月23日発売「横浜銀蝿40th2020完全復活ライブ『THE 配信!』コンプリートDVD BOX」https://kingeshop.jp/shop/g/gBZBM-1016/
シングル『昭和火の玉ボーイ』。カップリングには『ツッパリ High School Rock‘n Roll(在宅自粛編)』を収録 https://kingeshop.jp/shop/pages/yg40shtb.aspx
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