世の中には「珍車」と呼ばれるクルマがある。名車と呼ばれてもおかしくない強烈な個性を持っていたものの、あまりにも個性がブッ飛びすぎていたがゆえに、「珍」に分類されることになったクルマだ。
そんなクルマたちを温故知新してみようじゃないか。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る尽くす当連載。第2回は、珍し過ぎて実車を見かけたことがない人も多い、スズキ X-90を取り上げる。
文/清水草一
写真/スズキ
■わずか3年で販売を終了した挑戦車
国産珍車界における不動のエースと言えば、1995年に発売されたスズキのX-90をおいてほかにない。このクルマ、別にデザインが珍獣的にヘンテコだったわけではない。いや、珍獣と言えば珍獣だが、そのフォルムはシンプルかつ滑らかで、フィアット・ムルティプラのような、鬼面人を驚かす造形はどこにもない。
このクルマが珍車であるゆえんは、2シーターオープンスポーツと、クロカン4WDの融合だった点にある。今ならこのクルマ、クロスオーバーSUVに分類されるだろうが、1995年当時は、まだクロスオーバーSUV自体が登場したばかりで(CR-VとRAV4はともに1995年の発売)、そういう呼び方があることも知られていなかった。
思えばX-90は、CR-VやRAV4と同期の桜だが、他の2台はその後、車名別の世界販売台数ランキングで、仲良くトップ5入りするほどメジャーになった。どちらもグローバルで見ると、年間100万台近くが売れている。一方のX-90は、発売当初から極端な販売不振にあえぎ、わずか3年で絶版になったのだから、あまりにも対照的と言えば対照的である。
X-90の歴史をおさらいすると、初登場は1993年の東京モーターショー。その時点ですでにコンセプトカー然とはしておらず、ほぼこのままの形だったことを思うと、スズキは最初から市販化が視野にあったのかもしれない。その後、海外のモーターショーでも注目を集め、スズキ首脳は即断即決、市販化を決定。2年後に発売に漕ぎつけた。主な狙いは北米市場だった。
X-90のシャシーベースは、初代エスクード。つまり、本格クロカン4WD用のラダーフレームの上に、ユーノス ロードスターのボディを載せたような構造だった。
当時はパジェロを筆頭にクロカン4WDがブームになっていて、「RVブーム」と呼ばれていた。初代エスクードもRVブームに乗って、販売を伸ばしていた。それと入れ替わるように、スポーツカーは退潮を見せていたが、それでもまだ多くの若者はスポーツカーに欲望を燃やしていたし、初代ロードスターの人気も根強かった。
オープン機構は、ロースターのような幌のフルオープンではなく、デタッチャブル・グラスルーフを持つTバールーフ構造。外したルーフ部は、ケースに入れてトランクに格納できるようになっていた。日本でも北米でも、クロカン4WDとスポーツカーは、若者の人気を二分していた。そのふたつを融合したら、すごい化学反応が起きるかもしれない。いかにもスズキらしい挑戦的な発想である。
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