<フェラーリとランボルギーニの生い立ち>
1929年に自らのレーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立したエンツォ・フェラーリはエンジニアでありレーシングドライバーでありビジネスマンだった。その3つを持っていたからこそ、戦後、すぐに成功への階段を駆け上がったのだ。技術を理解し、F1の価値を認め、アメリカ市場の重要さを彼は最初から知っていた。
もっとも、市販車ビジネスに関して言えば、’70年代を迎える直前にフィアットにその主導権を渡している。そこからは、スーパースポーツの天皇として君臨した。
ランボルギーニはどうか。フェラーリが存在したからこそ、ランボルギーニがあった、というのは間違いないハナシ。なにしろ、創業者フェルッチョ・ランボルギーニはフェラーリやマセラティ、イソといったスポーツカーが大好きだったから。もともとトラクター製造業で成功した彼はフェラーリを超えるスポーツカーが欲しかった。
そして、作れば売れる、儲かると思い、’60年代前半にランボルギーニを創業する。彼もまたビジネスマンだったわけだ。
そして、フェルッチョもまた、’70年代初めに、カービジネスから身を引いている。
TEXT/西川淳
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