それはあまりに衝撃的だった。
2014年12月12日、水野和敏が台湾の自動車産業をメイン事業としている裕隆集団の傘下、自動車開発会社の『華創車電技術中心股份有限公司(HAITEC)』の本社副社長、そして日本における開発拠点となる華創日本株式会社(
HAITEC JAPAN)の代表取締役、最高執行責任者(COO)に就任したとの発表をした。
今後は日本を拠点に台湾の自動車メーカーの自動車開発や関連事業をしていくという。
R35GT-R開発者として知られる水野だが、’12年をもって日産自動車を退職。その後は本人の弁によれば「無職のオヤジ」だったが、自動車開発にかける思いは、60歳も半ばにさしかかろうとしている水野のなかで消えるどころか、ますます大きく膨れあがっていたのだ。
華創車電の親会社となる裕隆集団は台湾ドメスティックの俗に言う財閥で、1950年代には乗用車の生産を開始している。’80年代から’90年代にかけて日産や三菱との提携、合弁による自動車生産と販売を開始。’05年に自社ブランドの開発拠点となる華創車電を設立し、’09年には日産や三菱とは独立した自社ブランド『LUXGEN』を冠するニューモデルを市場に送り出している。
台湾メーカーから世界に挑戦する!
「アジア開発圏を創出していかなくては、日本を含めたアジア圏の自動車メーカーは単独の開発では欧州やアメリカの自動車メーカーに太刀打ちすることはできない」。
水野は危機感をいだいている。日本で自動車、特に4ドアサルーンが売れないというけれど、それは間違いだと水野は言う。300万円台から500万円前後の価格帯では、日本車が売れなくなった代わりにベンツやBMWそしてアウディといった欧州のプレミアムサルーンが売れている。
つまり、日本で4ドアサルーンが売れないのではなく、魅力を失った日本の4ドアサルーン車が売れていないだけであって、お客は魅力ある商品であれば300万円でも500万円でもお金を払って新車を購入するというのが水野の持論である。
ではなぜ、台湾の自動車メーカーなのだろうか!? 水野の理想とするクルマを開発するのなら、日本のメーカーやヨーロッパの自動車メーカー、あるいはアジア諸国の自動車メーカー、成長著しいインドの自動車メーカーという選択肢もあったであろう。
今でも現地生産はしているが、水野の構想は〝開発圏〟についてである。インフラコストが高く、人的資源不足により基準化した定常作業時になっている現在の商品開発の密度をどう上げるか、である。
冒頭でも言った「アジア開発圏」という考え方である。水野の根底には、あくまでも〝日本発〟という気持ちがあるように感じた。日本発の技術力を持ってヨーロッパやアメリカの自動車メーカーと真っ向から対峙したい。その思いが水野にはあるのだろう。
「最終的には人が持つ力とお互いの文化や価値観を生かすことだと思っている」水野は断言する。
台湾の人と接していると、古きよき日本人の気質を持っていることがよくわかるのだという。例えば台湾の駅や道路にはゴミはほとんど落ちていない。エレベーターには整然と一列に並んで乗る。
思いやりであるとか、人のためにという気持ちが自然と台湾の人々には備わっていると水野は感じた。欧米やほかのアジア諸国では感じられなかった人間の気質である。
こうした気質は一朝一夕で身につくものではない。親から子へ、また、身近な人々との関係性のなかで何代にもわたって培われてきたものだ。欧米的な〝オレがオレが〟という自己主張も確かに大切な場面もあるだろう。だがしかし、自動車という工業製品をチームで開発していくためには、台湾人が備えている〝人のために〟という調和の心がもの凄く大切なのだと水野は考えているのだ。
他人が仕事で困っている時に、自分の仕事が終わったのだからと見向きもせずに帰って行くようではチームとしての仕事はできない。水野がいつも評価試乗の取材時に言っている、「エンジンやサスペンション、ボディなど個々の仕事は完璧に仕上がっているけれど、1台のクルマとしてみた時にそれぞれがバランスされていないから、運転していて気持ちよくない」という言葉が脳裏に蘇る。
そのうえさらに、台湾はIT技術では世界トップクラスであるという事実がある。これからの時代、自動車とITの連携は必須の課題だ。日本の持つ自動車開発の基盤的な技術とノウハウと台湾人の人としての高い資質。さらに台湾のIT技術を連携して新たな自動車を作り上げていくことが水野の狙いなのだ。
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