混迷したテスラ第一期
テスラの今後を占うために、まずはテスラの歴史を振り返ってみたい。
大きく第一期と第二期の二つに分かれる。
第一期は、2003年から2008年、マーティン・エバーハードCEO時代だ。電気エンジニアだったエバーハード氏がベンチャーキャピタルなどから資金調達しながらテスラを運営し、イーロン・マスク氏は投資家という立場にあった。
テスラの量産型第一号「ロードスター」は事実上、英国ロータス「エリーゼ」のEVコンバージョンだ。シャーシをロータスから調達し、ボディはフランス国内で加工してアメリカへ輸入していた。
電動化技術について1990年にGMが量産した「EV1」の基礎開発を主導した、アラン・コッコーニ氏のACプロパルジョン社に委託していた。
だが、技術開発は予定より大幅に遅れ販売も停滞し、エバーハード氏は事実上、テスラを追放されてしまう。
この時点で、それまでテスラを見てきたメディア関係者の多くが「テスラは夢半ばで終わった」という印象を持った。
大化けした第二期はトヨタ効果がきっかけか?
その後、複数のCEOが就任したが事業は立ち直らず、イーロン・マスク氏が事業活動の先頭に立つことになる。ここからが、テスラの第二期だ。
第二期の冒頭に打ち出したのが、自社オリジナルモデルの投入計画。のちの「モデルS」である。
テスラが活用したのが、オバマ政権が推進していたグリーンニューディール政策による低利子融資制度だ。
アメリカでEVなど次世代車を開発し、その製造をアメリカ国内で行うことが条件だ。テスラの他、日産やフォードが同制度を活用し数百億から数千億規模の融資を受けた。
こうしてテスラは、アメリカ連邦政府から「次世代車ベンチャーの星」としてお墨付きを受けたことが、部品調達先の開拓などで大きな支えとなった。
さらに、工場用地の確保については様々な候補が挙がる中、最終的には当時のアーノルド・シュワルツェネッガー知事が仲介役となり、北カリフォルニアのトヨタ工場をテスラに売却することが決まり、さらにトヨタからテスラへの投資や、同州ZEV法への対策として「RAV4 EV」開発をテスラに委託した。
このトヨタ効果こそが、テスラ大化けのきっかけだった。
10年ほど一気に独走できた2つの側面
では、なぜテスラは、トヨタ効果後にEV市場で独走態勢に入ることができたのか?
筆者は、2つの側面があると考えている。
ひとつは、自動車メーカー各社が「EVは規制ありき」と決めつけ過ぎたことだ。
1900年代初期の自動車創世記、1970年代のオイルショック時など、一時的にEV需要が伸びる可能性があったが、性能面や価格面で本格量産にならず。
1990年にカリフォルニア州がZEV法を施行したことで、それ以降のEV開発は「ZEVありき」と言われてきた。
「ペナルティがないなら、ガソリン車やディーゼル車と比べて動力系部品のコストが極めて高いEVは当面、量産したくない」という大手自動車メーカーの幹部は、2020年時点でも大勢いるのが実情だ。
つまり、ユーザーや販売店から「EVを是非たくさん作ってほしい」という声が少ないのだ。
その中で、大手メーカーで唯一、EVに可能性を見出したのが日産だったが、周知の通りゴーン体制の崩壊によって経営基盤の大幅な見直し中である。
こうして、大手メーカーのほとんどがEVを遠巻きにし「テスラもそのうち失速する」と高を括っていたが、結果的に、テスラ主導でのプレミアムEV市場が形成されてしまい、ポルシェやメルセデスベンツなどが追従せざるを得なくなった。
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