本来ならば、2020年11月に開催予定だったWRCラリージャパン2020は、新型コロナウイルスの影響により、ラリージャパン実行委員会が自ら開催断念を発表、残念ながら中止となってしまった。
来年2021年のFIA暫定カレンダーには、ラリージャパンが据えられているそうで、来年こそはヤリスWRCの雄姿を、生まれ故郷であるここ日本で見ることができそうだ。
WRCといえば、日本人としては、90年代後半のスバルインプレッサWRXと三菱ランサーエボリューションシリーズの争いをなくしては語れない。筆者を含め、当時のスポーツカーファン達を大いに沸かせてくれた当時を振り返りつつ、来年は開催されるであろうラリージャパン2021でのヤリスWRCの活躍に思いを馳せようと思う。
文:吉川賢一
写真:TOYOTA、NISSAN、SUBARU、MITSUBISHI、ベストカー編集部
【画像ギャラリー】WRCを賑わせた日本メーカーのラリーカーを写真で振り返る
日本から来たサムライマシン「インプレッサ」
スバルが、WRCに本格的なワークス参戦を開始したのは90年シーズンのこと。マシンはレガシィRSであった。その年のスバルは5つのラリーに出て最高順位は1000湖ラリー(現・ラリーフィンランド)の4位にとどまり、マニュファクチャラーズランキングは4位。その後、91年シーズンは6位、92年シーズンは4位という結果におわっていた。
インプレッサが初投入されたのは93年シーズン途中の1000湖ラリーだ。デビュー戦で早速、アリ・バタネンが2位入賞し、その年のスバルのマニファクチャラーズランキングは3位、翌94年シーズンは2位(ドライバーランキングでもスバルのサインツが2位)にまで上昇した。
そして、95年シーズン、インプレッサ555に乗るコリン・マクレーとカルロス・サインツの2台が圧倒的な強さを示し、マニファクチャラーズタイトルをスバルにもたらした。ドライバーズタイトルもマクレーが獲得、「無敵のスバル」のイメージを世界中へと印象付けるシーズンとなった。
続く96年シーズンもスバルの強さが目立ち、マニファクチャラーズタイトル2連覇を達成。ドライバーズラインキングはその年5勝をした三菱のマキネン(マシンはエボIII)に奪われたが、マクレーの一発の速さは、見る者を魅了した。
97年シーズンからは、インプレッサWRカーを投入。全14戦中8勝を挙げ、スバルは日本車メーカーとしては初となる3年連続(1995~1997年)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。
インプレッサの人気は、ワークスドライバーのコリン・マクレーの人気があってこそだ。スピードは速いがすぐにクラッシュをする、「勝つか壊すか」のマクレーの走りは「マクラッシュ(壊し屋マクレー)」とも言われたが、多くの人に愛されていた。正確無比で冷静なイメージのあるマキネンとは対照的だった。
Hパターンのシフトでマシンをコントロールするマクレーを、筆者はただただ感動して見ていた記憶がある。マシンが超絶進化をして、信頼性が増した現代のWRカーと比べると、危険なにおいがしたと思うが、だからこそ、余計に熱くなったファンが多かったのかもしれない。
コメント
コメントの使い方