日本車から輸入車、それに新車から中古車、さらに時事ネタからクルマ以外の話まで、幅広い情報をお伝えしている自動車総合誌のベストカーが、「最近、読者の関心が薄れているなぁ」と感じているのが”新車試乗記”。
新たに登場したニューカーを評価する新車試乗記といえば、昔からクルマ雑誌にとっては定番。自動車誌の根幹ともいえるメインとなる記事だ。
そんな、新車試乗記の人気が下がっているとなると、ベストカーをはじめ自動車雑誌にとっては一大事だ!
この試乗記問題、自動車雑誌を読んでいる読者や執筆している評論家はどのように感じているのか? 自動車メディアの大問題に迫ります!
文:ベストカー編集部/写真:ベストカー編集部
ベストカー2018年1月26日号
■自動車評論家は「試乗記」に危機感を感じている?
試乗記がいまいち読まれていない、人気がないという風潮に対してベストカーでもおなじみの執筆陣はこの現状をどう感じているのか。鈴木直也氏、国沢光宏氏、清水草一氏、渡辺陽一郎氏に聞いてみた。試乗記の「いま」はいかに!?
【鈴木直也】いろんな角度でクルマを語る必要がある
正直な心境を言えば、ぼくはクルマ(特に新車)の試乗記は20世紀でほぼその役割を終えた、と思っている。ひとつは、工業製品としての自動車の完成度が高まって、一般ユーザーにおすすめできないほどダメなクルマがなくなったこと。
もうひとつは、自動車メディアの読者が変わってきたこと。最近の若い人は、ダイナミック性能を中心に語るオーソドックスな”走りのインプレ”に、あまり興味がなさそうに感じられる。
ゆえに、これからクルマを語るなら、歴史的な視点や技術的な考察、あるいはエネルギー問題に代表される社会的意義など、いろいろな角度から光を当てないと、面白く読んでもらえないんじゃないか、そういう気がしています。
【国沢光宏】最近の皆さんが読む気にならない試乗記
クルマと食べ物のレポートは多くの共通点がある。一度も味わってないジャンルだと的確に伝えられず、反対に日常で接しているものについちゃ誰も興味ないということ。
つまり牛肉を食べたことがない人に牛肉の味は伝えられないし、近所のラーメン屋さんの評価など興味ない、ということであります。
最近の国産車を見てると後者のケースが多く、皆さん読む気になってないと思う。私らだって平均的なパワーのエンジンで、普通のハンドリングのクルマを面白おかしく紹介することなどできない。
そんなことから最近ワタシの試乗レポートって、クルマについて書いてある分量が半分以下だったりすることも。逆に、そのほうが読んでもらえたりする。おそらく小説書くような文章力を必要とする時代になったんだろう。
【清水草一】エンターテイメントじゃないとダメ!
私は新車試乗記がメインの仕事とは言えないので、個人的には危機感はないです。というより、今のフツーの新車試乗記じゃ、読者様に読んでもらえなくなって当然じゃないかと思ってます。リーマンショックによる不況以来、新車試乗記のチョーチン記事化がとても進んだと思うのです。
まあ今のクルマはどれもちゃんとしてるので、致命的欠点があるクルマはないと言えばないけど、もう読み手はカーマニアだけ。よって新車試乗記は、カーマニアが満足する内容にしなきゃいけない。
それはもちろんどうでもいい操縦性とかの話じゃなく、そのクルマが楽しいか楽しくないか的な。いや、読んで楽しめる試乗記にしなきゃダメなんだよな。エンターテイメントじゃないとダメってことね。
【渡辺陽一郎】読み物として退屈になったと思う
試乗記の需要は21世紀に入って下がった。走行安定性が全般的に高くなって危険なクルマが減り、試乗記を読まなくても安心して新車を買えるようになったからだ。
走りの技術向上で背の高いミニバンや軽自動車が開発され、関心の対象が運転の楽しさから居住性、積載性などに移ったことも影響している。
読み物としても退屈になった。昔はフルチェンジすると性能が大幅に高くなり、走りの性格が変わったが、今はサプライズが皆無だ。
例えばハンドリングなら、どのクルマも後輪を確実に接地させ、微小舵角からの反応が正確で、舵角に応じて忠実に曲がる設定をめざしている。例外はない。
従って新車の試乗記も、すべて読者諸兄が想像した内容になる。わかりきった退屈な結果報告だ。だから思わず膝を打つような分析、付加価値が重要になる。
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