オートバイメーカーとして世界一に輝いたホンダは、1960年代に4輪事業に進出し、1980年代には世界から実力を認められるようになった。また、アメリカにも生産拠点を設け、世界に通用するクルマづくりに目覚めている。
ホンダの魅力は乗り手をワクワクさせるクルマ作りだ。
乗用車の最初の作品であるホンダSシリーズは高性能エンジンを積み、痛快な走りを見せつけた。1967年に発売した軽自動車のホンダN360は、高性能でありながら驚異的な低価格でライバルを唖然とさせている。また、ホンダZやバモス、ステップバンなど、ユニークなクルマも数多く生み出した。
が、突然のように自説を曲げ、まったく違うコンセプトのクルマ作りになるのもホンダの特徴でもある。こっちのほうがいいと考えると、設計方針を覆し、大きく転換する朝令暮改もホンダらしいところだ。
そこで1980年代から2010年までのホンダ車のなかで、変節が大きかったクルマにスポットを当て、その成否をチェックしてみた。
文:片岡英明/写真:HONDA
シティ(初代→2代目)
初代シティは強烈な個性の持ち主だ。1981年10月に「トールボーイ」のキャッチフレーズで送り出しされた。スモールサイズのFF車で、ボンネットを切り詰め、1.5BOXフォルムとしている。
また、常識を破る背の高さとし、小さくても快適な空間を実現した。これはメカニズム部分を最小化し、キャビンを広く取るMM思想から生まれた高効率のパッケージングなのだ。
初代シティは平均年齢27歳の若いエンジニアが開発し、パッケージングもデザインも新鮮だった。
エンジンは副燃焼室を持つCVCCCの1.2L、直列4気筒SOHCを搭載、低燃費にこだわっている。ラゲッジルームにピタリと収まるマイクロバイク、モトコンポも話題を呼んだ。
1982年秋にパワフルなターボ車を加え、1年後にはターボIIを投入する。1984年の初夏にはカブリオレを追加した。
初代シティは好評を博したが、個性が強すぎたこともあり、途中で失速している。そこで2代目はキープコンセプト路線へと転換した。
驚いたことに、ホンダが選んだのは背の低い2BOXデザインだ。全高は1335mmと、初代シティより135mmも低い。この変心は軽自動車のトゥデイが好調だったからだ。
空力性能や軽量化、操縦安定性などを重視した結果、背を低くしたのである。話題をまいたターボやカブリオレも消滅させた。
2代目シティは初代の魅力を否定したことにより、初代のファンからそっぽを向かれ、販売は低迷したのだ。唯一の救いは、モータースポーツの世界で活躍したことである。
CR-X(2代目→3代目)
1983年7月、ベルノ店に送り出した軽量コンパクト設計のFFスポーツクーペがバラードスポーツCR-Xだ。メカニズムの多くはワンダーシビックの3ドアモデルと同じだが、キュートなクーペデザインを採用し、ホイールベースも切り詰めた。
だから運動性能は一級だ。気持ちいいハンドリングを武器に、ワインディングロードでは上級クラスのスポーツモデルを難なくカモることができたのである。
1987年9月に登場した2代目のCR-Xも、初代のコンセプトを受け継ぐファストバックの小意気な3ドアクーペだった。初代で好評だった名機ZC型直列4気筒DOHC4バルブエンジンに加え、可変バルブタイミング&リフト機構のVTECを採用したB16A型エンジンを設定している。リッターあたり出力が100psを超えるSiRは、刺激的な加速を見せ、ハンドリングもシャープだ。
2代目CR-Xは、カップルや粋なスポーツクーペに憧れる熟年ファンを魅了した。
が、新天地を求め、3代目CR-Xは設計コンセプトを大きく変えている。1992年2月、CR-Xは衝撃的な変貌を遂げた。スポーツカーの新しい形としてクーペ・カブリオレやリトラクタブル・ハードトップがある。
トランストップと名付けた電動メタルトップを採用した個性派のスポーツクーペ、それが3代目のCR-Xデルソルだ。クーペの快適性とオープンカーの爽快感を1台で味わうことができた。
人々を驚かせた電動トランストップは、スイッチ操作によってルーフ部分をトランク内に収納することができる画期的なアイデアだった。手軽に粋なオープンエアモータリングを楽しむことができる。
手動タイプもあるが、主役はオープン時にはトランクに収納も可能な電動式のトランストップだ。強烈な個性を放ち、多くのクルマに影響を与えたが、当時は奇抜すぎたようで、走りにこだわる人たちは敬遠し、販売は今一歩に終わった。
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