サーキットが遠ければ1日半しか、モディファイやセッティングの準備時間がとれない
レース・ウィークは木曜日に車検があり日曜日のレースまでの4日間。したがってその前日の水曜日からが始まりなので週連続レースだと、ラッキーだとしても2日半、サーキットが遠ければ1日半しか準備時間がとれないのだ。その遠いサーキットというのがオランダからモンツァだ。オランダを出たトランスポーターがモンツァに到着するのは火曜日の昼過ぎになってしまう。
またオランダはハンガリー的ミッキーマウス型ショートサーキットだが、次のモンツァは超ハイスピードの直線型高速サーキット。全てのエアロパーツはモンツァ仕様に変える。もちろんメカニカルセッティングも変更しなければならない。
またスパでの高速区間に苦しんだチームはモンツァ仕様にかなりのモディファイを施してくるはずで、開発パーツの投入も多いはずだ。大型チームならばリソースが豊富で素早く予定外の改造等をすることができるが、小型チームではそのリソースが足らずにパーツ改造や修理にはどうしても時間がかかってしまう。そうすると僅か2日程の時間では苦しく、パーツ供給が遅れ気味になるのはいたしかたない。そしてサーキットにそのパーツが到着するのが遅れることで、結果的にチームは残業違反をせざるを得なくなるのだ。
疲労困憊のメカニック達がミスを起こせばドジ扱いされてしまう
チームスタッフにはこの3連戦、移動日以外に休みはなく、事実上3レース20日間を働き詰めになってしまう。それでも現在では残業規定があり、残業は否定されてはいるのだが、この残業をしなければレースを走れないのなら、せざるを得ない。
そんなハードワークで疲労困憊のメカニック達がレース中のピットストップでミスの一つも犯せば、事情を知らぬ世間の人々からは後ろ指を差され、ドジ扱いされてしまうのだ。
F1カレンダーはそんなレースの現場スタッフの事などお構いなく、来年には24レースも組んでいる。そして3戦連続は現場スタッフにとってはまさに“魔のロード”となるのだ。
【画像ギャラリー】サマーバケーション明けから怒涛の3連戦。ティフォシ熱狂のイタリアGPだったが…(5枚)画像ギャラリー津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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