昭和の終わりから平成の初めに掛けて日本を覆っていた「バブル景気」。今年で、50歳を迎えた筆者は、バブルの恩恵はほとんど受けられなかったが、同期の多くは一流企業へ就職が内定するなど恩恵を受けていた。
このバブル景気は功罪があるのは間違いないが、自動車業界にとって“功”だったのは、1989年が国産車のビンテージイヤーとなったこと。そして、後にA・B・Cと呼ばれる個性派軽自動車が登場したことは挙げられる。
そこで、今回はバルブ景気のおかげで登場したA・B・Cと呼ばれる個性派軽自動車の中でも最も過激で個性的なマツダAZ-1とその兄弟車スズキキャラの中古車事情に迫ってみる。
文:萩原文博/写真:MAZDA、HONDA、SUZUKI
【画像ギャラリー】魅惑のA・B・Cトリオ 永遠に輝きを失いなわない3台+αをもっと詳しく見せます!!
AZ-1のスペシャル感は別格
改めて、個性派軽自動車A・B・Cとはどんな車種だったのかというとAはマツダAZ-1、Bはホンダビート、Cはスズキカプチーノである。
当時実用車中心だった軽自動車のラインアップに衝撃的なスポーツカーが一気に3台が登場したのだ。
筆者はバブル崩壊直前に業界に入っていたため、就職面での恩恵はなかったが、この3モデルはリアルタイムで体験できたことは個人的にはバブルのおかげと感謝している。
その中でもAZ-1は現在の安全性を含めた軽自動車の規格では到底販売することができないシロモノなのだ。
AZ-1はスズキ製エンジンを搭載するマツダ開発車
オートザムという今は亡き販売チャンネルから発売されたAZ-1は1992年9月にデビュー。そして兄弟車(OEM車)のスズキキャラはちょっと遅れて1993年11月にデビューした。
660ccのエンジンを運転席後方のミッドシップに搭載し、2枚のドアは上方へ開くガルウィングドアを採用するなど、まさに小さなスーパーカーという仕様なのだ。
ミッドシップに搭載する直列3気筒ターボはスズキ製だが、開発はマツダのみで行っている。
ボディの外装パーツには軽量化のため、FRPを採用。
ルーフは当時流行したガラス張りのキャノピーデザインを採用。光の透過率を30%に抑えたセラミック処理を施したガラスをルーフ部に採用しているものの、運転中に直射日光が当たると頭頂部から汗が噴き出すほど暑かった。
AZ-1のハンドリングは当時類を見ないほどソリッドかつリスキーだった。軽量ボディ+ミッドシップエンジン+ロックトゥロック2.2回転という仕様は荷重移動が機敏すぎて、コーナリング中に姿勢が乱れるケースが多かった。
実際に運転していて、一番ビビった瞬間は、登り坂を走行中にハンドルの重さがどんどん軽くなり、操舵感が無くなったことだ。
これは当初、フロントに搭載する予定だったスペアタイヤが衝突実験の際に変更された影響と考えられる。
試乗したクルマにはフロントのトランク部分に布袋に入った砂が積んであったのにも関わらず、フロントがリフトしてしまうほどリア荷重のクルマだった。数多くのミッドシップ車を運転したが、こんな感覚はAZ-1しか感じられなかった。
コメント
コメントの使い方