日産のミドルクラスセダン、シルフィが2020年9月にひっそりと生産終了した。シルフィは日産の歴史ある名車、ブルーバードの名を冠していた。
2000年に「ブルーバード」の後継として登場し、「ブルーバードシルフィ」として初代(11代目・G10型)と2代目(12代目・G11型)を販売。
13代目相当のB17型シルフィでは車名からブルーバードが消えて、シルフィとして販売されていたが、ついにその系譜が消えることになったのだ。昭和に育ったクルマ好きにとって、ブルーバードは心に刻まれている名車中の名車だ。
そこで今回は、ブルーバードのなかでも、特に人気のあったスーパー・スポーツ・セダン、ブルーバードSSSに焦点を当て、どんなクルマだったのか、そして今買えるのか、モータージャーナリストの片岡英明氏が解説する。
文/片岡英明
写真/日産自動車
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■ブルーバードが遺したもの
ブルーバードは、技術の日産を代表するファミリーカーだった。ダットサン・セダンの後継として開発され、誕生したのは1959年夏のことである。
P310系と呼ばれる初代ブルーバードは大ヒットを飛ばした。前輪にダブルウイッシュボーン式独立懸架のサスペンションを採用し、ブレーキは日本初のユニサーボだ。国際水準のメカニズムを積極的に採用し、エンジンやトランスミッションの信頼性も高かった。
ご存じのように「BLUE BIRD」はベルギーの詩人、メーテルリンクが書いた童話である。チルチルとミチルの兄妹が、妖精に伴われ、幸運の使いである青い鳥を探しに行く。
この童話のように、日産にとって希望の青い鳥になって欲しい、との願いを込めて当時の日産自動車の社長、川又克二氏がブルーバードと命名したのである。その期待どおりに、ブルーバードは日産に幸運をもたらす名車となった。
発売されるやブルーバードは8000台ものバックオーダーを抱え、わずか2年半で累計10万台の生産を達成している。4年で21万台の生産を記録するなど、ライバルのコロナを圧倒した。また、北米を中心に3万2000台ものブルーバードが海を渡り、「ダットサン」ブランドの知名度を大きく引き上げている。
これに続く2代目のP410系ブルーバードは、軽量で剛性の高いモノコック構造を採用し、1963年9月に登場した。パワーユニットは1189ccのE1型直列4気筒OHVが主役だ。
発売から半年後の1964年3月にはSUツインキャブを装着し、フロアシフトの4速MTを組み合わせた1200SSを仲間に加えている。排気量に続く「SS」はスポーツセダンの略だ。
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