東京オートサロンでお披露目された「VISION RALLIART CONCEPT」によって、三菱のブランド「ラリーアート」復活が話題だ。
1982年のWRC参戦から始まった三菱の国際戦略にあって、その翌年から発足した「ラリーアート」ブランドは、WRCでの大活躍、パリダカ優勝などを経て、三菱自動車が世界的なブランドへと成長する礎ともなった。
しかし、リーマンショックや不祥事で経営の立て直しを迫られるなかで、ラリーアートを含む三菱のモータースポーツ活動全般が「リストラ」の憂き目に遭ってしまう。
そんな経緯もあって一度は消えてしまったラリーアートだが、今回のコンセプトモデルお披露目で名ブランド、そして「4WDの三菱」復活への希望が見えてきた!
文/国沢光宏、写真/三菱自動車、西尾タクト
【画像ギャラリー】祝・ラリーアート復活! 歴代三菱の競技車両と「VISION RALLIART CONCEPT」をギャラリーでチェック(10枚)画像ギャラリー■「三菱の魂」 ラリーアート開設への道のり
新型アウトランダーPHEVが絶好調だ。2022年2月上旬時点で1万台のバックオーダーを抱え、納期も5カ月以上という久し振りの明るい話題になっている。
クルマ好きの間ではアウトランダーPHEVより話題になっているのがラリーアートの復活だ。ラリーアート、明確なモータースポーツ嫌いだった益子修前社長によって処分されてしまったけれど、三菱自動車の魂のような存在でした。
そもそも三菱自動車が世界的なブランドとなる発端は、1982年にWRC1000湖ラリーでデビューした初代A175ランサーである。このクルマを使い、本格的な国際戦略をスタートさせた。
翌1983年、欧州でラリーアートを開設。欧州の橋頭堡(きょうとうほ)として活動を開始し、グループBのスタリオンこそ実戦投入できなかったものの、グループA仕様で参戦。6代目ギャランVR-4、初代ランエボへと引き継がれていく。
同時進行形でパジェロを使ってのパリダカ参戦も始まった。こちらも1984年の参戦車からラリーアートのステッカーが貼られている。
当時、三菱自動車のマーケティング部門にはモータースポーツ好きの戦略家などおり、開発部門と二人三脚で三菱自動車のブランドイメージについて、木全巌氏と篠塚建次郎さんを担ぎ、WRCとパリダカというモータースポーツで作り上げようとしていた。
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