日産を救ったルノーとの提携が危うい状況に!? 「ルノー・日産・三菱アライアンス」【自動車メーカーのビッグバンを探る】

日産を救ったルノーとの提携が危うい状況に!? 「ルノー・日産・三菱アライアンス」【自動車メーカーのビッグバンを探る】

 かつてはそれぞれが独立した存在だった自動車メーカー。現在では多くのメーカーが提携を行い、場合によっては買収されて別のメーカー傘下となったというケースもある。エンジンやプラットフォームの共通化によるコストダウン、流通の効率化など、メリットの多いグループ化だが、あるメーカーがどのグループに属しているのがわからないこともあり、さらに意外なグループの傘下となっていて驚かされるブランドもある。

 このシリーズではそうした「自動車メーカーグループ」に注目し、紹介していくことにしたい。ステランティスとフォルクスワーゲン(VW)グループに続く連載第3弾は、フランス企業のルノーと日本の日産自動車&三菱自動車を中心にした「ルノー・日産・三菱アライアンス」にスポットを当てる。

文/長谷川 敦 写真/ルノー、日産、三菱、Favcars.com、Newspress UK

【画像ギャラリー】連携強化は吉と出るか? 凶と出るか?(16枚)画像ギャラリー

グループ中核のルノーはフランスの誇り

日産を救ったルノーとの提携が危うい状況に!? 「ルノー・日産・三菱アライアンス」【自動車メーカーのビッグバンを探る】
大衆車メーカーというイメージの強いルノーだが、写真のメガーヌR.S.トロフィーのように300psの高出力エンジンを搭載したスポーツモデルも販売している

 19世紀末にフランスのルノー兄弟によって創設されたのが「ルノー・フレール」。フレールとは「兄弟」を意味するフランス語であり、中心となったのは5人兄弟の4番目にあたる技術者のルイ・ルノーだった。ルイが造り出す自動車は高く評価され、ルノー・フレールは瞬く間に業績を上げていった。特にタクシー用車両の生産で実績を高め、ルノーのタクシーは第一次世界大戦においてフランス軍兵士の輸送車として活躍している。

 順調に思えたルノーの経営だったが、第二次世界大戦でフランスがドイツに降伏したのをきっかけにドイツの圧政下に置かれることになり、戦争終結でフランスが解放された後には国有化。新体制の「ルノー公団」になった。

 ルノー公団は1947年に大衆向け小型車の4CVを発売するが、この4CVがヒットモデルとなったことで躍進を開始。そして「クルマのジーンズ」と呼ばれるほどの記録的売り上げを残したルノー4(1961年発売)で大衆車メーカーとしての名声を確立した。その後も大衆向けの車両がルノーの中核車として販売されている。

 1973年にはそれまでルノーベースのスペシャルティカーを製作していたフランスのアルピーヌを傘下に収め、アルピーヌ・ルノーのブランドで展開。アルピーヌ名の車両は1995年のA610をもっていったん終了するが、2012年のA110-50で復活。2021年にはF1チームもそれまでのルノーからアルピーヌに改名され、スポーツカーブランドのイメージを強化した。

 国有企業で再スタートを切ったルノーだったが、1990年に株式会社となり、1996年には完全民営化された。以降はフランスを代表する自動車メーカーとしてさまざまなモデルを作り続けている。

個性派モデルで進撃を続けた日産の歴史

日産を救ったルノーとの提携が危うい状況に!? 「ルノー・日産・三菱アライアンス」【自動車メーカーのビッグバンを探る】
国産EV(電気自動車)のリーディングモデルとも言うべき日産リーフ。写真は現行の2代目モデルで、バッテリーの改良により航続距離が延ばされている

 1911年、日本国内での自動車生産を目的に橋本増治郎が中心となって設立されたのが改進社自動車工場。その第一号は資金協力者のイニシャルを合わせてDAT号と呼ばれた。しかし改進社の業績は悪化してしまい、1925年にはダット自動車商会に社名を変更する。

 1926年には大阪で創立されていた実用自動車製造を改名したダット自動車製造と合併され、1931年に部品会社である戸畑鋳物の傘下に入った。戸畑鋳物自動車部をベースに誕生した会社が自動車製造で、1934年に自動車製造は日産自動車に社名変更された。これが現在に続く日産のルーツである。

 1930年代から製造が開始された日産製モデルの多くにダットサン(「ダットシリーズの息子」の意。ただしの息子のSonが「損」をイメージさせることからSunに変更された)の車名が与えられ、このDATSUNは海外でも知られるブランド名に成長した。

 そして1966年にはプリンス自動車を吸収合併し、スカイラインなどのプリンス製モデルも日産から販売されることになった。

 日産にはスポーツ志向の強いモデルも多く、前出のスカイラインをはじめ、フェアレディZやシルビアなどの人気車種がリリースされた。そして1980年代末には「シーマ現象」と呼ばれるほどのブームを巻き起こした高級セダンのシーマを発売。個性溢れるモデルが幅広い年齢層から支持されていた。

 このように、日産はトヨタに次ぐ国内第2位の生産台数を誇るメーカーとして存在感を示していたが、1990年代に入るとクルマ作りの迷走やマーケティング戦略のミスにより大きく経営状態が悪化してしまい、創業以来最大の危機を迎えることになる。

次ページは : 窮地に陥った日産の救世主

最新号

ベストカー最新号

あのシルビアが復活! 2022年はSCOOPも特集も深掘り! ベストカー2月10日号

2022年は国産新車が35車種も登場予定! 何が誕生するのか、どれが魅力的か? と知りたいアナタにお役立ち間違いなしの「ベストカー」2月10日号。シルビア復活のSCOOP企画もアツいです!

カタログ