■日産マーチスーパーターボ(初代モデル)
1982年に登場した初代マーチは日産に吸収合併されたかつてのプリンス自動車色が強いコンパクトカーで、新開発の1リッター4気筒エンジンや工場の新設など、大変力の入ったモデルだった。
初代マーチにはスポーツモデルとして1985年にターボ車が追加されたあと、1988年にラリーやレースといったモータースポーツ参戦ベース車としてターボとスーパーチャージャーという2つの過給機を持つRというモデルも加わり、Rの一般ユース向けとして1989年に登場したのがスーパーターボである。
マーチスーパーターボは戦闘的なエクステリアに加え、ターボとスーパーチャージャー(110馬力)を持つこともありマーチの小さなエンジンルームがギュウギュウ詰めとなった。
そのためパワステが付けられず、アクセルを深く踏んだ際のトルクステアやコーナーでアクセルを閉じた際のタックインが強い点など、クルマと格闘しながら運転するという面もあった。しかし好みは大きく分かれるにせよ、それはそれで古き良きクルマの楽しさでもあった。
■4代目スターレットGT
スターレットはFRだった初代モデルからモータースポーツ入門車という役割も担っており、FF化された3代目モデルからはターボ車も加わった。
1989年登場の4代目モデルにもGTのグレード名でターボ車が設定されていたのだが、4代目モデルのスターレットターボはDOHC化により110馬力から135馬力にパワーアップされたこともあり、動力性能に対しトラクション(駆動力)が足りず、慎重な運転が必要だった。
なお、この頃のトヨタのスポーツモデルは限界域で激しい挙動変化を起こす2代目MR2の初期型ターボ車、4代目スターレットターボ同様に車体に対し動力性能が勝ち過ぎていた新開発の2.5リッター直6ツインターボを搭載した初代スープラと80系マークII三兄弟などがあった。
今考えるとトヨタのイメージとはずいぶん異なる危なっかしいものが続いていたといえる。
ただ4代目スターレットターボはコーナー脱出時などのトラクションを高めるLSDやサスペンションの強化といった一通りのチューニングを施すと、ノーマルカーの危うさを大幅に緩和ながら2リッター級のターボ車並に速くなるという驚きや楽しさを備えていたのも事実だった。
■3代目ジェミニ
1985年にFF化されて登場した2代目ジェミニはヨーロピアンなスタイルや、地下鉄の階段やホームを2台のジェミニが走り回るものをはじめとしたアクロバティックなCMの効果もありニッチとか通といったイメージを持つモデルだった。
1990年登場の3代目モデルはスタイルなど全体的に2代目ジェミニが築いたよきイメージは薄れたものの、アクロバティックなCMは継続された。
それはさておき3代目ジェミニで尖っていたのはリアサスペンションのブッシュの特性などを利用し、コーナー進入時は回答性向上のための前輪との逆相、その後は安定性確保のための同相を新たな機械的な機構なしで成立させた4WSとなるニシボリックサスペンション(名前は開発者の西堀氏に由来)の採用だ。
ニシボリックサスペンションはモータースポーツユースなど一部のユーザーには好評だったようだが、多くの自動車メディアから「コーナーで大きくアクセルを閉じるなどの操作をしてないのに勝手にリアが流れる」などの酷評が多かった。
ジェミニ自体がマニアックな面も持つモデルだったにせよ、「やりすぎだった」というのが妥当な結論だろう。
ただ、3代目ジェミニがいすゞ自社製としては最後の小型乗用車になってしまったことを思うと、3代目ジェミニ、ニシボリックサスペンションともに貴重な存在だったのも事実だ。
なお元号が平成に変わった1989年あたりからはR32型スカイラインGT-RやZ32型フェアレディZで日本最強280馬力時代が始まったことやバブル景気に加え、日本人のクルマ熱が熱い時代だったのもあり、若者が無理なローンを組んででも280馬力カーを買うというのが珍しくなかった。
そういう流れもありFFスポーツも堅調には売れていたものの、それほど目立たない時代がしばらく続いた。
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