日本においてFF車が増え始めたのは1970年代からだったこともあり、スポーツモデルも本格的にFF車に移行し始めたのは1980年代からである。
自動車メーカーがFF車の技術を確立したのは1980年代後半以降というところが多かったのもあり、1980年代までのFF車のスポーツモデルには乱暴な部分もある尖ったものも少なくなく、当記事ではそんなクルマたちを振り返ってみた。
文/永田恵一、写真/HONDA、NISSAN、TOYOTA、ISUZU
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■ホンダシティターボ(初代モデル)
1981年に初代モデルが登場したシティは、3ドアハッチバックのみの現在のコンパクトカーに相当するモデルだった。
初代シティは標準モデルで1470mmという当時としては高い全高による車内の開放感や可愛らしいスタイルも理由に、クラスレス(老若男女、誰もが欲しがるという意味)な魅力を備えていたこともあり、人気車となった。
初代シティには1982年にターボ、1983年にインタークーラーも持つターボIIが加わるのだが、初代シティは全幅が約1600mmと小さかったところに全高が高く、かつ全長は現代の軽自動車並と短かったこともあり、ハイパワーなエンジンを積むとクルマとしてのバランスが破綻し欠けていたのも否めなかった。
特に初代シティではターボIIを使ったワンメイクレースも行われていたのだが、レース仕様ではさらにハイグリップタイヤを履くこともあり横転するシーンも少なくなかった。
なおシティは1986年に2代目モデルに移行するのだが、2代目シティはトールボーイと呼ばれた初代シティとは180度違う全高を1335mmとした、全高の低さも含めスペシャリティな面を持つ実にスタイリッシュなコンパクトカーとなった。
2代目シティは700kg台の軽量なボディにピュンピュンと回る1.3リッターNAエンジンを搭載もあり、ジムカーナやレースといったモータースポーツでも活躍した。
しかし2代目シティも当時のホンダ車同様にサスペンションストロークが極端に短かったのもあり、荒れた路面もある公道ではトリッキーなところも目立つクルマだった。
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