首都高速がまた値上げである。しかも2022年4月から普通車の上限料金が1950円になるという。そしてその理由も納得できないものである。
1964年の東京オリンピック開催に合わせて首都高の建設が急ピッチで進む中、1962年に開通した時の暫定料金はなんと「50円」だったいう。首都高はどのように値上げの道を進んできたのだろうか?
文/藤田竜太
写真/Honda、Isuzu、AdobeStock(Soraplus@AdobeStock)
■大義なき愚策でまたも値上げの首都高
2022年4月1日より首都高速道路の通行料が大幅な値上げとなり、普通車の上限料金が1320円から1950円に引き上げられる。
今回の値上げは、「都心部通過に際し周辺の路線よりも首都高速道路が割安な場合などがあり、依然として都心部に渋滞が発生している状況なので、それを解消するため」という大義もヘチマもない理由からだ。
首都高速道路会社を含め、誰も得をしない施策、いや愚策ともいえるものだが、そうした首都高の値上げの歴史を振り返ってみよう。
■首都高料金値上げの歴史を紐解く
首都高が開通したのは、1962年。ご存じの通り、1964年の「昭和」の東京オリンピックに合わせて急ピッチで整備が進められ、まず1962年の12月20日に、京橋~芝浦間の4.5kmが開通。
このときの普通車の料金は50円(以下「普通車」料金)。均一料金のスタートだったが、これは暫定料金。1年後、1963年の12月から、100円となりこれが本料金となる。
ちなみに、開通時=1962年の物価は、大卒初任給(公務員):1万4200円、ラーメン:50円、喫茶店(コーヒー):60円、映画料金:200円といったところ。
オリンピックの開催年の1964年には、通行料は150円(東京線)に値上げ。1968年に開通した神奈川線(浅田~東神奈川6.8km)の通行料金は100円で、翌年150円になった。
以下、東京線の値上げだけを見ていくと、1970年に200円に値上げとなる。
1970年の物価は、大卒初任給(公務員):3万1510円、ラーメン:110円、喫茶店(コーヒー):120円、映画料金:700円と、1962年の2倍近くになっているので、首都高の値上げも納得できる範囲のものだ。
次が1974年で250円、さらに1976年に300円と、この間わりと短期間に値上げが続く。この頃、回数券も登場していた。
そして1980年から1984年までは400円の時代だ。1980年の大卒初任給(公務員):10万1600円、ラーメン:310円、コーヒー:250円、映画料金:1400円。
昭和60年=1985年になると首都高の料金は500円へ。最初の500円硬貨が登場したのが1982年なので、首都高=ワンコイン時代。
クルマでいえばホンダが初代レジェンドをデビューさせ、いすゞの二代目ジェミニ(「街の遊撃手」というキャッチコピーのCMが話題になった)が登場した年。
その後、バブル前夜の1987年に首都高は600円になり、1994年から2012年1月1日に距離別料金制に移行されるまで、長期間700円時代が続く。この期間が長かったので、なんとなく首都高=700円という価値観が定着するのだが、距離別制になってから、怒濤の値上げラッシュがスタートする。
まず2012年1月、ETC車の上限が900円、そしてETC車以外は一律900円に。2年後2014年の4月には、消費税の値上げに合わせて、ETC車の上限が930円、ETC車以外も一律930円。
ここまでは、まだ1000円以内だったのでまずまずだったが、2016年4月からは、「高速自動車国道の大都市近郊区間とほぼ同等の距離別制へ」という理屈で、一気にETC車の上限が1300円、ETC車以外が一律1300円に!
さらに2019年10月には、消費税増税の影響で、ETC車の上限が1320円、ETC車以外も一律1320円となった……。
10年前と比べても、900円から現状でも1320円になっているので、ずいぶん高くなったものである。
もともと日本の高速道路の料金は、世界的に見てもバカ高だが、渋滞が減らないから値上げするというのはむちゃくちゃな理屈だ。
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