ジウジアーロはなぜこれほど天才なのか? 初代ピアッツァの魅力と知られざる真実

■30年後に初試乗して知る神々しさ

 その後長らくピアッツァは、私にとって謎のいい女のままだったが、10数年前、ピアッツァの誕生から30年たって、ついにというかまさかという感じで、生まれて初めて運転する機会が巡ってきた。

 見た瞬間、背筋がぞくっとした。30年前のいい女は、今でもあり得ないほどきれいだったのだ。本当のいい女とはこういうものか。月日が流れても、月日では押し流せない気品が残る。いや逆に贅肉がそぎ落とされ、美のエッセンスはますます磨かれていた。さすがジウジアーロ。「80年代のボディライン」は、21世紀になってさらに輝いていた!

 近くへ寄って、クルマを一周した。美の巨匠が作り上げたフォルムは、30年たっても微塵も揺らいでいない。余分なものはなにもない。あえて言えば前期モデルに装着されていたフェンダーミラーだけだが、後期型にはそれもない(結局ほとんどの前期型がドアミラーに付け替えられた)。日本の法規に合わせるため無理やり付けられた、カタツムリのツノのようなフェンダーミラーに、ジウジアーロ氏はひどく失望したという。ピアッツァほどドアミラーの認可が待望されたクルマはなかった。

 サイズは小ぶりだ。全長4385mm、全高1300mm、そして全幅はわずか1655mm。こんなに小柄だったのか……。試乗したのは、1984年式の2.0Lターボモデルだった。この年からピアッツァは、パワーウォーズに対応するため、アスカに搭載された180馬力のターボエンジンを、ラインナップに加えていた。

 ステアリングの左右には、ジウジアーロの描いた未来の設計図として、サテライト式のスイッチボックスが配置されている。いかにも樹脂製な質感だが、それが神々しく感じられる。メーターは超レトロなデジタル式。30年前のセピア色の未来は、古いプラモデルみたいに、触れれば壊れてしまいそうだった。

 茶室に入る気分で運転席に座り、遠慮勝ちにエンジンをかけ、マニュアルギアを1速へ。クラッチはまったく普通に軽やかだった。そして、あっけないほど普通に発進した。

 それは、夢のような時間だった。こんなにトルクがあったのか! こんなに加速がよかったのか! 現代のクルマとまったく遜色ないじゃないか! いや、もちろんそれほど速くはないけれど、貴重な美術品が実用品として通用することに感動した。

 雨の中、ワイパーを動かせば、いかにも頼りなげな1本アームが、しっかり雨をぬぐってくれる。右のサテライトボックスに配置された、これまた頼りないウィンカースイッチに触れれば、ちゃんとウィンカーが点滅する。すべてに感動……。

 ピアッツァは、30年を経て、ますます美しくなっていた。40年を経た今はいったいどうなっているのか。残念ながら、初代ピアッツァを街で見かけることは皆無になった。もしそんな機会に恵まれたなら、私はその場に立ち尽くして、涙を流すだろう。

その後、1991年に発売された2代目ピアッツァは、社内デザインとなった(のちに日産へ移籍する中村史郎氏による)
その後、1991年に発売された2代目ピアッツァは、社内デザインとなった(のちに日産へ移籍する中村史郎氏による)
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