■1974年にLP400が市販開始。当初はオリジナルデザイン踏襲でエレガント路線
紆余曲折あってカウンタックの生産は1974年にスタートする。まずは空力デバイスのまるでない、そういう意味ではガンディーニのオリジナルデザインに近いLP400を150台生産。名前の数字が示すとおり、プロトで予定されていた5LV12ではなくミウラ 以前と同様の4L版をリアミドに縦置きしていた。
ちなみにその搭載方法が特殊で、キャビンからリアへとミッション→エンジン→デフの順に積まれていた。天才エンジニアのパオロ・スタンツァーニが生み出したこのレイアウトこそがカウンタックの形を生んだ源泉である。
さらに後継モデルであるディアブロ、ムルシエラゴ、アヴェンタドールへとスタンツァーニのレイアウトは継承されたという意味では、名実ともに今なおカウンタックは生き続けていると言っていい。
続いてカナダの大富豪、ウォルター・ウルフのプロジェクトからLP400の後継モデルであるLP400Sが1978年に誕生。これによってカウンタックのスタイルは激変する。
登場したばかりのピレリP7を履くためにオーバーフェンダーが追加され、フロントスポイラーやリアスポイラー(オプション)も装備されるようになった。ただし、エンジンは4Lのまま。約240台が生産された。
■発表から10年を経て待望の5Lエンジン搭載! パワーアップしライバルに対抗!!
そして1982年、ついにエンジン排気量アップの悲願を達成したLP5000Sが登場する。新庄監督が「ファンフェスティバル」で乗っていたモデルがこれで、排気量は4.8Lでサイドドラフトのキャブレターを装着した最後のカウンタックだった。生産台数は約320台。スタイリングそのものはLP400S後期モデルを継承している。
実はカウンタック、LP400Sの途中でボディの厚みが変わっていることをご存じだろうか。これはアメリカなど長身のオーナーが多い国向けの対策で、それ以前はいわゆるローボディとして珍重されているのだが、同時に並べて比べて初めてわかる程度の差、ではある。
その後、1985年には4バルブ化とさらなる排気量アップ(5.2L)を果たしたクワトロバルボーレが登場。そのパフォーマンスは飛躍的に向上し、当時、ライバルと目されたテスタロッサと同等の評価を受けた。デビュー後10年以上経ったスーパーカーとしては異例の人気作となり、約630台が作られる。
さらにこのクワトロバルボーレをベースにエクステリアデザインを今はときめくオラチオ・パガーニが手がけ、ランボルギーニ社25周年記念モデルとして1988年に誕生したのが25thアニバーサリーというモデル。これまたモデルライフ末期にもかかわらず、世界的な好況も手伝って、約660台が生産されたのである。
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