■クンタッシの20年
あれだけ独創的なクンタッシだけあって、ずーっとあの形のまま生産がつづいたような印象があるが、生産されたクンタッシはチェンジによって大きく5つのモデルに分けることができる。
1971年にプロトティーポが発表されてから、最終のクンタッシが1990年7月にラインオフした20年間は、ひとつの歴史的時代の移り変わりでもあった。
最初の生産モデルLP400は1978年までに150台が生産された。プロトティーポで一番の問題とされたエンジンの冷却のために、いくつものエアスクープを設けられてはいたが、もっともシンプルなクンタッシとして人気が高いモデルだ。
1978年にオーヴァフェンダなどで武装したLP400Sに変化するが、これは「ウルフ・スペシャル」として知られるものを量産化したもの、という。
カナダの石油王であったウォルター・ウルフが特別仕様として注文したもので、ホンモノの「ウルフ・スペシャル」には強化された5.0Lエンジンが載せられていたが、市販車は3929ccのままであった。
1982年までに237台のLP400Sを送り出した後、待望の新エンジンが開発される。人手に渡り一時は倒産状態にあったランボルギーニ社をフランスの実業家、パトリック・ミムランが買収したのだ。4754ccに拡大されたエンジンは、余裕を持って375PSを発生し、LP500Sとして321台が生産された。
それで満足してはいなかった。さらに排気量を5167ccにアップすると同時に、気筒あたり4ヴァルヴ化した465PSという圧倒的パワーのエンジンを開発。それを搭載したその名も「クアットロヴァルヴォーレ」を1985年のジュネーヴ・ショウで発表する。
ようやく初期のクンタッシが求めていた性能が実現できた、ということか1988年までに624台と生産台数を伸ばした。
そしてクンタッシの25周年を記念した「25thアニヴァーサリー」が登場するや、1990年までに657台を産む、クンタッシの中で最大数を量産するという、ちょっと皮肉な結果にもなったのだった。
【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)
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