■スバル レガシィ(1994年初登場・現在7代目 ※日本では2020年6代で終了)
●こんなクルマ……併売されていたが、実質的にレオーネの後継モデル。日本にステーションワゴンブームを巻き起こし、当時経営難だったスバルの救世主となった
レガシィは初代、2代目ともにワゴンが大人気だった。逆に言えばセダンの存在感が薄かったのだが、5ナンバー幅のまま正常進化した3代目でセダンはワゴンから若干遅れてB4のサブネームを持ち登場。
3代目レガシィはワゴン人気をそのままに、セダンもスポーツセダンというキャラクターを強めただけでなく、価格がリーズナブルだったのもあり、レガシィの柱に成長。
4代目レガシィはBMW3シリーズのようなプレミアムカーを目指したモデルだったこともあり、日本では人気。だが、スバルのメインマーケットとなる北米では室内の狭さにより低迷。
そのため5代目は北米を意識し、ボディサイズを拡大したことにより、日本でのレガシィ人気は終焉。しかし、5代目が北米でヒットした功績はスバルにとって多大だったのも事実だ。
(TEXT/永田恵一)
■マツダ ファミリア(1963年初登場・11代終了 ※2004年消滅)
●こんなクルマ……マツダの最量販ベーシックコンパクトで、トヨタ カローラ、日産 サニーという当時の巨星に果敢に挑んだ。海外では323として販売され人気
ファミリアは1980年登場の5代目でFFに移行。5代目ファミリアは初代ゴルフを手本にしたところがあり、このことも幸いし全体的に完成度が高かった。
なかでも特に赤い3ドアハッチバックのラウンジシート付きが人気で、陸サーファーと呼ばれる人々が現われたほどだった。結果、5代目ファミリアは当時ピンチだったマツダを初代RX-7とともに救う存在となった。
ファミリアは5代目以降も6代目の4WDターボ、スタイリッシュなアスティナもあった7代目も魅力のあるモデルだった。
しかし、1994年登場の8代目はマツダが低迷し始めた時期だったのに加え、世の中も低価格化が悪い意味でのトレンドだったこともあり、前期型に3ドアクーペ的なNEOがあったことしか印象はなく、ファミリア低迷の始まりとなった。
(TEXT/永田恵一)
■日産 フェアレディZ(1969年初登場・現在7代目)
●こんなクルマ……日産を代表するスポーツカーであると同時に日本の宝。美しさ、高性能に加えて安価なのも人気の要因
1983年登場の3代目Zは軟派な方向となった2代目から、3L、V6ターボの搭載など硬派な方向のキャラとなった。3代目Zはサスペンションなど車体が動力性能に追いついていないところや、直6エンジンの追加など迷走感もあったが、1989年登場の4代目での高性能化の序章も感じさせてくれた。
その4代目だった2000年に一度絶版となるものの、2002年に5代目として復活。「日産のシンボル、日産リバイバルプランの目玉」という役割もあった5代目Zはクルマ自体の魅力に加え、汎用性の高いFMプラットフォームの採用による低価格もあり大成功し、Z継続に多大な貢献を残した。
(TEXT/永田恵一)
■日産 シーマ(1988年初登場・現在5代目 ※2022年消滅予定)
●こんなクルマ……セドリック/グロリアの高級版として登場するや否やシーマ現象を巻き起こすほどの人気となった
2代目シーマは、初代シーマの役割はY32型セドグロのターボ車に移行した面があったのもあり、「クラウンマジェスタ的なポジションで、英国風な内外装を持つラージセダン」となった。このコンセプトは一般的なユーザーにはわかりにくかったようで、シーマの存在感は一気に薄れてしまった。
3代目シーマが2代目から一番変わった点は、インフィニティQ45の絶版により海外も含めシーマが日産のフラッグシップとなったことである。3代目シーマ自体は「ポリシーが薄いモデル」というのが率直なところだが、3代目はシーマらしさを取り戻した4代目へのつなぎ役として重要。
(TEXT/永田恵一)
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