日産が誇る大衆車として、長らくその地位を守り続けてきたサニーは、代表的なセダンのほかにもさまざまなボディタイプを有していたことでも知られるモデルだ。なかでもピックアップトラックの「サニートラック」は、フルモデルチェンジを1度しか実施しなかったにもかかわらず、40年以上という驚異的なロングセラーモデルとなっていたのである。
文/小鮒康一、写真/日産自動車
■そもそもサニーってどんなクルマだった?
日産を代表する車種のサニー、といっても、すでに日本での終売から20年が経過しようとしている今、サニーが新車で販売されていた頃を知らない世代もいると思うので、簡単にサニーの歴史を紹介しよう。
初代モデルが1966年4月に登場したサニーは前年よりティザーキャンペーンを展開し、車名を一般公募するなどマスコミを上手く使ったプロモーションが功を奏し、好調な滑り出しを見せる。
しかし同年11月に登場したトヨタ カローラ(初代)が豪華さを前面に打ち出し、1Lエンジンを搭載していたサニーに対して1.1Lエンジンを搭載し、「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーでアピール。
すると徐々にユーザーはカローラに流れていき、ここからサニーvsカローラの仁義なき販売競争がスタートすることになったのだ。
そのため、1970年に登場した2代目サニーではボディサイズを拡大し、エンジンも1.2Lにするなど大型化を果たし、「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチコピーで反撃するなど、当時はバチバチのライバル競争を繰り広げていた。
そんなサニーも日本国内ではユーザーの高齢化とセダン需要の縮小の影響を受け、2004年に実質的な後継車種となるティーダ ラティオへその座を譲って終売。ティーダ ラティオも2世代目でラティオと名前を変えるが、販売台数は好転せず、2016年で姿を消している。
このように今ではすっかり過去の存在となってしまったサニーではあるが、サニーとして初めて世に出た2ドアセダンや代表格の4ドアセダンのほか、クーペやハッチバック、ステーションワゴンにバンとさまざまなボディタイプが用意されていた。
そのひとつとして存在していたのが今回紹介する「サニートラック」というワケだ。
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