2代目までのスカイラインはプリンス自動車工業が生産しており、日産としてのスカイラインはこの「ハコスカ」から始まった
歴代で最も売れたスカイラインがケンメリ。その熱量は凄まじく、車両だけでなく関係したグッズ、曲も売れ、CM撮影地の北海道 美瑛が聖地として観光地になるなど一大ムーブメントとなった
4代目スカイライン 「ケンメリ」からスカイライン伝統の丸目4灯テールランプが採用された
4代目スカイラインと言えば「ケンメリ」の呼び名が有名だが、4ドアセダンタイプは「ヨンメリ」とも呼ばれた。ケンとは別れてしまったのだろうか……
トヨタは2代目セリカのキャッチコピー「名ばかりのGT達は、道をあける」で5代目スカイラインを皮肉ったが、後にターボを追加した日産は「今、スカイラインを追うものは誰か」と返した
「史上最強のスカイライン」とも呼ばれた6代目スカイライン。FJ20E型エンジンは高性能だったが6気筒でなかったことから「GT-R」の名前は与えられなかったと言われている
現在でいう「インテリジェントキーシステム」の先駆けのような「カードエントリーシステム」といった最新装備を採用したが、スカイラインにストイックなイメージを持っていた古参のファンからは不評だった
2代目シビック 「スーパーシビック」のインパネ。ドライバーの視線移動を減らすために情報をハンドルの内側に配置した集中ターゲットメーターが採用された
大きく様変わりした「ワンダーシビック」は3ドアハッチバック、4ドアセダン、そして5 ドアハッチバックのシビックシャトルが設定された。翌年にはスポーツグレード「Si」が追加され、シビックのスポーティなイメージはここから始まったと言われている
3代目シビックでは3ドアハッチバックだけでなく5ドアモデル「シビックシャトル」も追加された。2代目シビックの派生モデルである「シビックカントリー」の実質的な後継モデル
4代目シビックは先代よりもさらにロー&ワイドで丸みを帯びたスタイリングは「なめらかで、溶け合うようにまろやかな」という意味で「フラッシュ&ブレンディ」と名付けられた
5代目 スポーツシビックは、「若者をターゲットとする」とリリースにも書かれているように、リアシートを倒すと2シーターのようなレイアウトになり、ソロやカップルでの使用を意識したデザインになっている。セダンタイプには「シビックフェリオ」という新たな名前が付けられた
5代目シビックから4ドアセダンタイプは「シビックフェリオ」という新たな車名が与えられた
6代目 ミラクルシビックは、スタイルにスポーティさは失っていないものの燃費などの実用性を意識し出したモデルといえる。スポーツ的な要素はマイナーチェンジで追加されたタイプRが担う形になった
6代目シビックの時代、1987年のマイナーチェンジでスポーツ走行を追求したモデル「タイプR」が初めて登場した
6代目シビック タイプRのインパネ。真っ赤なレカロ社製バケットシートにカーボン調メーターパネル、チタン削り出しシフトノブなどドライバーの気分を高揚させる装備が充実していた
それまでのスポーティなイメージから一転、コンパクトカーに求められる実用的な要素が詰め込まれたクルマとなった
2代目シルビアの正式名称は「ニュー・シルビア」でエンブレムにも「NEW」の刻印が彫られている。開発段階ではロータリーエンジンが搭載されるという噂もあったが実現はしなかった
BMW3シリーズ E30は、国産車では満足できないお金に余裕のある若者たちがこぞって購入したことで「六本木のカローラ」と揶揄されてしまうほど希少性が薄れてしまった
メルセデス・ベンツ 190E(W201)は、当時都内で盛り上がりを見せていたエリアでよく目にすることから「六本木のカローラ」と並べて「赤坂のサニー」、「銀座のサニー」とも呼ばれた
発売当初はセミリトラクタブル式とも呼ばれるライズアップヘッドライトを装備していたが、1983年のマイナーチェンジで完全なリトラクタブルライトを採用し、フロント周りがブラックに統一されるなど、大きく印象を変えた3代目セリカ
「ブラックマスク」と呼ばれた3代目セリカはマイナーチェンジ後のモデル。発売当初は通常時は上向きのヘッドライトが点灯時には立ち上がるライズアップヘッドライトを装備していた
発売当時は大ヒットした初代アルトに比べて成功したとは言い難いが、その人気は根強く、いまだに熱心な愛好家がいるスズキ マイティボーイ
「マー坊」ことマイティボーイのベースとなった2代目セルボ