水野和敏氏の試乗は熱い。熱すぎて、どんどんヒートアップしていく。そしてよく怒る。
それは、モノづくりに対する“本気”の裏返しともいえる。水野氏がクルマを評価するとき、その先に何を見据えているのか。プロとしての水野氏の流儀をお届けしよう。
ベストカー2016年3月16日号
メーカーは「誰」を見てクルマを開発しているのか?
こんにちは水野和敏です。
私はベストカーの誌面でいろいろなクルマの評価をさせて頂いていますが、同時に現在も自動車の開発責任者という仕事に就いています。
開発の現場でクルマに乗るということは、私の評価の結果により各段階で決めた目標の未達があったり、新たな課題が生じた場合、実際にその未達の解消や課題解決のために「人、モノ、金、時間」などの開発資源が使われるということです。
試乗の評価結果には感想やコメント等だけでは終わらず「業務責任」が付いてきます。
この責任を果たすために私は二つのことを心がけています。一つは「決して自分の好みや趣味として評価をしない。全ては客観的にお客様の使われ方を想定したベネフィットのための評価をする」。
このために私は「自分の好きなクルマや憧れのクルマ」はこの仕事をしている限りは持たないことにしています。
心がけていることの二つ目は「日常を含め全ての運転や乗車の時間を、評価能力や解析能力を向上するための自身の訓練時間としている」ことです。
ドライブや運転が楽しいと思える時間は私にはありません。例を挙げるとステアリングを切った瞬間「タイヤのトレッドゴムの変形と断面の変化やサイドウォール部分のコード構造の動きとゴムの歪み、全体捩じれ量と旋回横力CPの出方」。
タイヤ部分の評価や解析にしても一瞬でこれらを読み抜くわけです。ですから私はこの仕事をやっている限り自分自身のトレーニングのために全ての運転や乗車の時間を使っています。
さらに仕事の場合、試乗評価をした後は車両の総合計測データと私自身の評価結果を突き合わせ、試乗結果を数字化して話せるところまで自分自身の訓練を続けています。
それらによって仕事で試乗評価をする場合、殆ど全ての結果はクルマから降りる時に具体的な「現象と数字に変換」して開発のメンバーに伝えます。
いうなれば一流のすし屋の板前が魚河岸でマグロの尾鰭の切り口を見ただけで、それを食べるお客様の味覚とその後の言葉を見抜くのと同じことだと思います。
そんな私がここ最近の日本のクルマ評論記事を見ていると疑問を感じることが多々あります。
もちろんこれは日本の自動車環境や道路事情等により評価結果の多くが実際にはユーザーが体験できず、また「雑誌の記事のことだから」ですまされる日本の文化にあるのかもしれません。
欧州やアメリカの自動車専門誌等は試乗評価のコメントと共にテストコースや専用の評価場所で計測したいろいろな種類のデータを併記しています。
アメリカなどは評価結果に対して場合によっては提訴されることもあるし、欧州は速度無制限のアウトバーンや120km/h程度で流れている一般道でユーザー自身が体験できてしまいます。
鈴木利男ドライバーなどとジャーナリスト試乗会でよく話していたことがあります。
「あのジャーナリスト、走り出して出て行く時からタイヤ鳴らしっぱなしで帰ってきていったいどんな記事を書くんだろうね? タイヤ鳴らしちゃったらクルマなんて何もわからないし、ユーザーが一年中タイヤ鳴らして走っているわけでもないのに!!」。
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