いつの間にかほとんど消えていた和製クルーザーたち
クルーザーとは…などとまどろっこしい説明をするまでもなく、「ハーレーみたいなバイク」でお分かりいただけるだろう。ゆったりとした乗り味、足着き性の良さなどで、女性にも受け入れられやすいカテゴリーだ。
そのものズバリ「アメリカン」とも呼ばれ、アメリカ生まれのハーレーダビッドソンが代名詞。クルーザーカテゴリーにおいて、ハーレーは圧倒的な存在感を放っているのだ。
かつて、和製クルーザーが盛り上がったこともあった。1988年発売のホンダ・スティードが和製クルーザーブームの立役者と言えるだろう。ヒットの理由は主にふたつある。ひとつは、エンジンをVツイン(V型2気筒)としたことだ。
国産勢はそれまで、クルーザーカテゴリーにおいてはスポーツモデルを改造するだけで主に並列2気筒エンジンや並列4気筒エンジンのモデルをリリースしていた。だが、それらは「ジャパニーズアメリカンカスタム」などと差別され、冷ややかな目で見られることもあった。
クルーザー=ハーレー。ハーレー=空冷ビッグVツイン。すなわち、クルーザー=空冷ビッグVツイン。保守的なクルーザーカテゴリーにおいて、この図式はあまりに強固な鉄壁だったのだ。
スティードはこれまでと同じようにありものを改造するのではなく、いちからクルーザーモデルを検討し、ハーレーと同じVツインを採用。水冷ではあったが、空冷に見えるフィンを装備してヒットに結びついた。
もうひとつの理由は、大型二輪免許が限定解除と呼ばれ警察の試験場でしか取得できなかった高嶺の花だった時代に、400ccも登場させたことだ。“本物”のビッグVツインではなくても、400でそれなりにクルーザームードを味わえる。これが若者層の人気を呼んだ。
バイク界の一大ムーブメントだったレーサーレプリカブームが終わっていたことも幸いし、スティードはベストセラーになったのである。1996年にはヤマハ・ドラッグスター(400cc)が発売され、やはり人気に。ドラッグスターは後に1100ccなどラインナップを増やした。
しかし、和製クルーザーは定着しなかった。当時のクルーザーユーザーが追い求めた本物志向の行き着く先は、結局ハーレーダビッドソンでしかなかったのだ。ハーレーでなければならないとすれば、どうあがいても国産勢は太刀打ちできない。
1996年、大型二輪免許が教習所で容易に取得可能になると(日本での販売増を狙いハーレーが圧力をかけたとされるのだが、この話はまた別の機会に)、“なんちゃって”ではない“本物”がより身近になり、ハーレーの販売台数は躍進。和製クルーザー=ジャパメリカン市場はほぼ消滅したのだった。
Vツインを捨て割り切った勝負に出たホンダ、しかしまだ早かった
それでもホンダは諦めない。2013年~2014年にかけて、今度は独自路線でハーレー帝国に戦いを挑んだ。クルーザーカテゴリーに向け、並列2気筒エンジンのCTX700、そして縦置きV型4気筒エンジンのCTX1300を投入したのだ。
どうにかしてクルーザーカテゴリーにおけるハーレーを打ち崩したい。だが、“本物”と同じVツインでは対抗できない。だったら、並列2気筒とV型4気筒で戦ってみようじゃないか……。ホンダの意気込みは熱かった。
この粘りも、まるで通用しなかった。CTX700、CT1300ともに、一代限りで日本国内市場から撤退の憂き目に遭ったのである。クルーザー=ハーレー=空冷ビッグVツインの壁は、あまりにも厚く、高かった。
クルマでエンジンの気筒配列を気にするのはごく一部のマニアだろう。だがバイクの場合は、エンジンが乗り味を大きく左右するうえに、外観部品としても重要な役割を果たす。そうそう変わらない超保守的な世界を前に、大敗を喫した。
コメント
コメントの使い方ハーレーを倒すもなにも、
そもそも40年ほど前に、倒れかけのハーレーに技術を提供して助けたのがホンダ