惨敗。——トヨタのル・マン24時間レースは、3台中2台がリタイア、生き残った1台も早々に優勝戦線から離脱し、8位完走に終わった。
予選では7号車の小林可夢偉が圧倒的な速さで首位を奪取。他の2台には中嶋一貴、国本雄資が乗り、どのマシンが勝っても「日本人ドライバー優勝」も果たせる。決勝レースでは序盤から1−2体制も築いた。
だが、1位の7号車、2位の9号車ともにスタート約10時間でリタイア。中嶋が乗る8号車は、その約2時間前にマシントラブルで優勝戦線から離脱。
レースの3分の1を終えた時点でトヨタ優勝の可能性はほぼ潰え、トラブルに見舞われながらも走りきったポルシェの1台に優勝が転がり込んだ。
2016年の『残り3分』での敗退と、今回の大敗。そればかりクローズアップされるが、筆者は、トヨタのル・マン活動の本質を、苦戦するホンダF1と対比させながら指摘する。
文:段純恵/写真:TMG、TOYOTA、HONDA
トヨタとホンダ F1撤退後に選んだ異なる道
今年も夢破れる結果に終わったトヨタのル・マン挑戦の歴史は30数年前に遡る。だが、現在のハイブリッド車での参戦に話を限ると、その始まりは2009年のF1撤退にあった。
リーマンショックの影響で、自動車メーカーが雪崩をうつようにモータースポーツ活動から手を引いて10年。
いまでは多くのメーカーがレース活動を再開しているが、あのときF1チームを解散した日本の2メーカー、ホンダとトヨタの現在のモータースポーツ活動の状態をみると、それぞれが撤退後に選んだ道の跡が、現在の活動の根底にクッキリ残っているのが感じられる。
ホンダはF1撤退の直後、英ブラックレーにあった活動の拠点、HRD(ホンダ・レーシング・ディベロップメント)の風洞実験施設を含む全施設をあっさり売却した。
第三期活動の終盤にBARを丸ごと買収し、名称変更しただけのHRDに、ホンダとしてさほどの思い入れを持てなかったのかもしれない。
だが当時の本社首脳陣に、F1だけでなくヨーロッパのモータースポーツ全体を俯瞰する視野があったなら、あれだけの施設をまるで厄介者を切り棄てるように、たった1ポンドで売り飛ばすようなことはしなかったのではないかと思えてならない。
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