43歳で歴史的快挙ふたたび!! インディ500、そして佐藤琢磨の凄さを語ろう


 佐藤琢磨選手がインディ500で二度目の快挙を成し遂げた。F1でのアグレッシブな熱い走りを記憶しているファンもきっと多いことだろう。

 インディ挑戦から早10年。彼がF1からのキャリア転向を宣言した時、世界三大レースのひとつであるインディ500を二度も制覇するとは誰が予想しただろうか。

 インディ500の凄さ、そして佐藤琢磨選手のキャリアを振り返りつつ今回の偉業を開設していこう。

文:佐橋健太郎(KENTARO SABASHI)/写真:INDY CAR、HONDA

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■F1より長い歴史を誇るレースを日本人が二度も制覇する意味

レース終盤のクラッシュによってフルコースコーションとなり、イエローフラッグが出されたままのチェッカーとなった

 正直に言うと「まさか」と思った。その瞬間を望んでいたことは間違いないのに、モニター越しに見える景色に目を疑った。なんといってもインディ500である。F1モナコGPやルマン24時間耐久レースと並んで「世界三大レース」と呼ばれ、毎年、決勝レースには30万人を超える観衆が集まるビッグイベントだ。

 全米が注目するインディ500を、佐藤琢磨選手が日本人ドライバーとして初制覇したのが2017年。それから3年後の2020年に、琢磨選手はなんと2度目となるインディ500優勝を成し遂げたのである。

 インディ500とは、正式名称を「インディアナポリス500マイル」というモータースポーツ・イベント。

 現在はインディカー・シリーズに組み込まれるかたちとなっているが、その歴史ははるかに古く、第一回大会が開催されたのは1911年のこと。インディカー・シリーズ本体はもちろん、F1世界選手権よりも長い歴史を持っている。

レース開始前のインディアナポリス・モータースピードウェイの上空をアメリカ空軍アクロバットチーム『サンダーバーズ』がフライ・パスする

 ちなみに2020年現在、エンジンメーカーとしてインディカー・シリーズに参戦しているのはシボレーとホンダの2社だが、第1回インディ500の開催と同じ1911年にシボレーが創業されている。

 いっぽうホンダは、創業者の本田宗一郎氏が1906年生まれ。1911年当時はわずか5歳だから、当然ながら影も形も存在していない。

 そんな約110年の歴史を持つインディ500は、2020年の今年に第104回大会を迎えた。年数と回数が合わないのは、2度の世界大戦によりレースが開催されなかった期間があるためだ。言い換えれば、忌まわしい戦争の期間を除き、インディ500はいつも5月の最終日曜日に決勝レースが行われてきた。

 インディ500の伝統を示す有名なエピソードのひとつに、指定席チケットの優先販売権が存在する。

 インディ500は決勝レースが終了してから数ヶ月後に、翌年のチケットが販売されるが、指定席チケットを購入する権利は前回大会において同席のチケットを購入した者に優先して与えられる。

 だから『ウチのファミリーは毎年、第○ターンの何列目で応援するんだ』というファンが大勢いる。100年以上も開催されている国民的行事だから、祖父の代から三代に渡って同じ席で観戦している……という家族も珍しくないのだ。

無観客での開催となったにもかかわらず、コース近くにはギャラリーがつめかける。「コロナ? マスク? 知ってるよ。でもインディだぜ?」という声が聞こえてきそうだ

 そしてインディ500の観戦チケットには、前年に優勝したドライバーの写真が大きく使用される。つまり来年2021年の第105大会のチケットには、佐藤琢磨選手が今回のビクトリーセレモニーで見せた姿が印刷されるのだ。

 インディ500を優勝したドライバーは、たった1日にして周囲の評価がガラリと変わる。

 優勝ドライバーに与えられる賞金総額が200万ドル(約2億1200万円)オーバーと高額であることもあり、インディカー・シリーズの年間チャンピオンを獲得するよりも、このインディ500に勝利することのほうが価値があると考えるチームやドライバーは少なくない。

■19歳から始まった佐藤琢磨のレースキャリアとアメリカへの挑戦

インディ500の瞬間最大速度はF1をも凌駕する。平均車速も250km/hオーバーと異次元のスピードで200周のレースを戦うのだ

 そんなビッグイベントで2度の優勝を果たした佐藤琢磨選手だが、そのレースキャリアは独特だ。

 モータースポーツに初めて触れたのは大学2年生のとき。昨今では幼少期からカートに親しむ選手が多いなか、19歳で初めてカートに乗った佐藤選手は、かなり遅いスタートといっていい。

 しかし持ち前の努力する才能で次々と好成績を残し、英国F3のシリーズチャンピオンを経てF1レギュラードライバーとして参戦を果たした。

2002年にジョーダンでF1の切符をつかむ。その後はジェンソン・バトンとBARホンダからF1参戦。アグレッシブな走りを魅せていたものの……

 F1では1度の表彰台は獲得したものの苦しいレースが続いた。所属していたチームが撤退したこともあり2010年から戦いの舞台をアメリカに移し、インディカー・シリーズにフル参戦を開始する。

 参戦2年目には2度のポールポジションを獲得するなど予選では速さを見せるものの、決勝レースでは安定感に欠く場面が見られたことも事実。2012年にはレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍し、インディ500では最終ラップまでトップを争うレースを見せるなど印象的なレースも多かった。

 転機となったのは2017年。有力チームのひとつであるアンドレッティ・オートスポーツへ移籍すると、第101回インディ500で佐藤琢磨選手は日本人ドライバーとして初めての優勝を達成した。そして翌年2018年からは、’12年に所属したレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに復帰した。

 復帰2年目となる2019年シーズンにはインディ500で3位となり、さらにシリーズでも2勝を挙げるなど、インディカー・シリーズ参戦10年目となるがその競争力が今なお高いことを証明した。

アタックし続け、チャンスをものにした佐藤琢磨選手。100年以上の歴史を誇るインディ500で複数回の優勝を成し遂げたのはわずか20人にすぎない

 レーシングドライバーとしての佐藤琢磨選手を語る際、よく使われるのが「No Attack、No Chance」という言葉である。日本語に訳すと「挑戦なくして成功はない」となるだろうか、レースだけではなく琢磨選手のキャリア全般を振り返ってもあてはまる言葉だ。

 104回の歴史を誇るインディ500において、複数回の優勝を達成したドライバーはわずか20人しかおらず、現在のインディカー・シリーズにフル参戦しているドライバーでは佐藤琢磨選手のみ。

 2020年シーズンを43歳で戦う琢磨選手は、インディカー・シリーズにレギュラー参戦しているドライバーのなかでも上から2番目の年齢だが、座右の銘であるNo Attack、No Chance」の言葉どおり、その勢いは今なお健在。

 元来のスピードに、ベテランならではの経験や読みが加わった現在の琢磨選手は、「ハマると速いドライバー」から「速さと強さを併せ持つドライバー」への進化を感じさせる。

次ページは : ■「No Attack、No Chance」を支えるホンダエンジンの底力

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