クルマが生産を終え消滅する最大の理由は販売不振によるものだが、実はそれだけではない。売れているにもかかわらず販売戦略によって消滅するケースもある。
どんなクルマでも消滅するのは惜しいが、ビッグネームや大きなインパクトを残したモデルが消滅する場合の寂寥感は大きい。
トヨタは2019年にビッグネーム、マークXとエスティマの2車種の生産を終了したが、マークXのファイナルモデルが人気となって販売が伸びていたりするのも、モデル消滅を惜しんでいるからだろう。
そのほか惜しまれながら消滅したトヨタ車について、消滅した理由を考察していく。
文:ベストカーWeb編集部/写真:TOYOTA、HONDA
【画像ギャラリー】2019年に消滅したマークX&エスティマのヒストリー
マークX
販売期間:1968~2004年(マークII:9世代)、2004~2019(マークX:2世代)

2019年4月24日にマークXの特別仕様車のファイナルエディションが発表され、1968年に初代マークIIがデビューして以来、マークXと続いた51年の歴史に幕を下ろすことが正式に発表された。
2019年12月23日にはトヨタの元町工場(愛知県豊田市)にて、約200名の元町工場の従業員が参加して、生産終了イベントが開催された。
大々的に生産終了イベントを行ったのは、トヨタにとってもマークXは思い入れが大きく、重要なモデルだったことの証明と言えるだろう。
マークXはセダン受難時代に追いやられたのは事実だが、トヨタの販売チャンネルの統合が最も大きな要因だと考えられる。

トヨタはFRセダンとしてクラウン、マークXの2車種をラインナップ。これまではクラウンはトヨタ店、マークXはトヨペット店のそれぞれ専売車種だったが、販売チャンネルの統合により国内専用の2車種をラインナップする必要はなくなった。
両ビッグネームを天秤にかけてトヨタの顔であるクラウンを残すというのは当然の結果だ。マークXは車種整理により、FFハイブリッドセダンのカムリに統合される形になり、マークXの既存ユーザーをカバーしていく。いっぽうFRにこだわるユーザーにはクラウンを勧めるという販売方針をとっていく。

カムリはグローバルカーで現行モデルは販売好調だが、既存のマークXオーナーが満足できるのかにも疑問が残るし、同じFRセダンといってもクラウンは価格もマークXよりも高く、トヨタが感がるほど簡単にはいかないかもしれない。
返す返すマークXの消滅はもったいないと思う。

エスティマ
販売期間:1990~2019年(3世代)

1990年に『天才タマゴ』の愛称で、ショーモデルがそのまま市販されたようなスタイリッシュなエクステリアデザイン、ミドシップレイアウトで登場したエスティマも、マークX同様に2019年に惜しまれながら生産終了となった。
車種整理、販売チャンネルの統合が引き金となっているのもマークXと同じ境遇だ。

エスティマは常にミニバン界で異彩を放ってきた。初代、2代目は特に目を引くデザインでユーザーを魅了。ミニバンとして初のハイブリッドを設定するなど、エスティマ=スタイリッシュ&先進的というイメージが強い。
それに対し結果的に最後のモデルとなった3代目は、エクステリア、メカニズムとも大ヒットした2代目を踏襲、スキンチェンジ程度にしか映らなかった。
しかし3代目も堅調に販売をマーク(ヒットというほどではなかった)。
3代目エスティマは2回のビッグマイチェンにより前期、中期、後期とフロントマスクは3タイプある。フルモデルチェンジは行わずマイチェンで対処してきたが、顔が変わっても設計の古さは隠せず魅力ダウン。目先の変化に頼ったツケが回ってきたのだ。

トヨタは既存のエスティマユーザーはアルファード/ヴェルファイアでカバーするというが、その片割れのヴェルファイアも次期モデルは存在しないというのが有力だ。
3代目が販売不振で早々と失敗の烙印を押されていれば、エスティマの運命も変わっていたかもしれない。
ファンカーゴ
販売期間:1999~2005年(1世代)

ファンカーゴはヴィッツをベースにしたハイトワゴンで、ヴィッツにはない広々とした室内を実現していた。ヴィッツがスターレットの実質後継車だったのに対し、ファンカーゴはまったく新しいジャンルに挑んだブランニューカーだった。
今でいうゆるキャラ的な癒されるファニーデザインはデビュー時に賛否が分かれたが、見慣れると癖になる人が続出。デビュー時と時間が経過してからのエクステリアの評価が変わったクルマも珍しい。

デビュー翌年の2000年には10万6835台を販売して登録車で5位に輝くなど一躍大人気となり、ハイトワゴンの代名詞に君臨していたほど。
しかし、トヨタはこれだけ売れて認知されたファンカーゴという車名を1代限りで捨ててしまった。2005年にデビューしたラクティスにバトンタッチ。
ファンカーゴの車名を捨てることに対しては当時トヨタ社内でもかなり議論が交わされたと聞いている。
それでも車名変更に踏み切ったのは、同じハイトワゴンでもラクティスはスペースユーティリティだけでなく、内外装の質感を高めたプレミアム性を持たせ、スポーツカーに負けない走りを実現させるというコンセプトとしているからだという。
ユーザーもファンカーゴの消滅は寝耳に水で、ファンカーゴは実績を残しながら1代限りで消滅したレアなクルマとして認知されている。

カルディナ
販売期間:1992~2007年(3世代)

カルディナは打倒スバルレガシィを掲げて、コロナをベースにステーションワゴン化したモデルで、初代モデルは乗用車のほか商用車のカルディナバンもラインナップ。
日本でステーションワゴンがなかなか認知されなかったのは商用バンと間違われる、というものだったが、カルディナの商用車ラインナップは乗用車専用のレガシィに対して大きなハンデとなったのは言うまでもない。
トヨタは2代目カルディナにレガシィGT-Bへの対抗策として、セリカGT-FOURに搭載していた260psの2Lターボエンジン(3S-GT)を搭載して臨み、好評だったがレガシィの牙城を切り崩すまでにはいかなかった。

そして最終モデルとなる3代目ではスタイリッシュさをアピールして登場。NAエンジンは刷新され、2代目から踏襲する260psの2Lターボ搭載モデルには、GT-FOURの車名が与えられたがワゴンブームが下火になっていたことも影響し大きな成果を残せず。
ライバルが好調と見ればその対抗馬をブツけて蹴落とす、というのはトヨタの得意とするところだが、カルディナは3世代にわたり打倒レガシィを標榜するも成し遂げることができなかった珍しい1台と言えるだろう。
カルディナの消滅によって、トヨタは2Lクラスのステーションワゴンマーケットから退散、ジャストサイズのステーションワゴンのカルディナの消滅を惜しむ声は意外なほど多かった。

エスティマルシーダ/エスティマエミーナ
販売期間:1992~1999年(1代)

初代エスティマは全幅が1800mmだった。1990年当時は全幅1800mmのクルマは少数派で、エスティマは欲しいが、大きすぎると販売の足かせとなっていた。
その声に応えるようにトヨタが市場投入したのがエスティマルシーダ/エスティマエミーナの姉妹車だ。エスティマを縮小コピーしたようなモデルで、全幅は1690mmの5ナンバーサイズ、全長も短くして登場した。
エスティマのようなワイド感、伸びやかさはないが、スタイリッシュなエクステリアデザインは健在で、『小エスティマ』と呼ばれ一躍大人気モデルとなった。
そのミニバンで一世を風靡したルシーダ/エミーナも1代限りで消滅。

その理由は、オデッセイの登場により乗用タイプミニバン人気が高まったことにある。実際にピーク時はルシーダとエミーナを合わせて月販2万台を超えていたが、オデッセイの登場後は販売台数を大きく下げていった。
それから駆動方式の問題もある。エスティマと同様にシート下にエンジンを搭載するミドシップだが、ミドシップはコストもかかるため本家エスティマも2代目ではFF化することになり、ルシーダ/エミーナのためだけにラインを残すことは不可能だった。
エスティマ同様にFF化も考えられたが、当時ノア/ヴォクシーの開発が大詰めで(2001年デビュー)、2LクラスのFFミニバンではバッティングするため、ルシーダ/エミーナの必要性がなくなっていたため、消滅となってしまった。
