セドリックは日本初のショーファードリブンを追加
1962年9月、グロリアは第2世代にバトンタッチする。フラットデッキスタイルの伸びやかなフォルムになり、きらびやかなグリルは打ち抜きプレスの凝ったものだ。
日本で初めてACジェネレーターを採用し、時代に先駆けてエアコンもオプション設定した。1963年には日本初の直列6気筒SOHCユニットを搭載したスーパー6を加えている。
同じ時期にセドリックはスペシャルを投入した。これはホイールベースを延ばし、後席の足元空間を広げた日本初のショーファードリブンだ。直列6気筒エンジンも2825ccと、日本の乗用車で最大排気量だった。
グロリアも東京オリンピックを前に、2494ccのG11型直列6気筒SOHCエンジンを積むグランドグロリアを送り出している。
日本初のパワーウィンドウやパワーアンテナなどを標準装備し、オプションでパワーシートやオートライトなども用意された。今のクルマと変わらない快適装備を満載していたのだ。
セドリック/グロリア連合でクラウンに対抗
1965年秋、セドリックは初めてのモデルチェンジを実施し、1967年にはグロリアも3代目を投入する。プリンス自動車は日産に吸収される形で合併したから、この3代目からは日産グロリアを名乗った。
そして1971年、セドリットとグロリアはモデルチェンジを機に兄弟車になっている。これから先は連合軍でクラウンに販売合戦を挑むようになるのだ。
1971年2月に登場した3代目セドリックと4代目グロリアは「230」の型式で呼ばれている。ウエッジシェイプの伸びやかなフォルムが特徴で、フォーマル色の強い4ドアセダンに加え、角形ヘッドライトのスタイリッシュな2ドアハードトップを送り込んだ。
そして1972年夏に日本初のフルオープン4ドアハードトップを投入した。このクラスにはないパーソナル感覚とカジュアル感覚がウケ、230型はクラウンを超えるヒット作になっている。
また、新しいユーザー層の獲得にも成功したという意味で、第1期の全盛時代と言える。
日本車初のターボ搭載
スポーティな味わいのプレステージセダン、セドリックとグロリアは、1979年6月にモデルチェンジして躍動感あふれるフォルムの430型になる。
大胆にも2ドアハードトップを整理したが、12月に日本で初めてのターボチャージャー装着車を仲間に加えた。
最初は5速MT車だけの設定だったが、後に3速AT車も登場する。
ディーゼルは4気筒ばかりだが、430型は上質な直列6気筒のディーゼルエンジンも用意した。
また、リアサスペンションをリーフリジッドから5リンク/コイルスプリングに代え、走りの実力を高めている。フロントブレーキにベンチレーテッドディスクを採用したことにも注目だ。
この430型以降、セドリック/グロリアはメカニズムへのこだわりが一段と強くなり、日産ファンが好むスポーティな走りにも磨きをかけている。
だから熟年層に加え、運転するのが好きなヤングのオーナーも増えた。
コメント
コメントの使い方最後のセドリック(Y34型)の最終記念型を乗り続けています。
後継機種は全く乗る気にならないゴミ車種だと思う。優雅なセドリックとは比較にならない凡庸な顔つきですね。ゴーンの失敗車です。ゴーンはGTRを復活させる良い面もあったが、優雅なセドリックを止めた欠点もある。もう日産は優雅な車を作れなくなったのかな?悲しいね。