こだわりすぎたデザイン?
デザインへのこだわりがわかるのは、全高を多くのタワーパーキングに見られる1550mmの車高制限値にギリギリ収まらない1600mmに設定したことだ。
チーフデザイナーによれば10mm減らすことは考えなかったというから、独特なスタイリングの実現にどこまでもこだわったのだろう。
一方で、軽自動車としての資質に優れていたとしても、強すぎる個性、特にスタイリングは時としてマーケットに拒否反応を示されてしまう。
ただし、三菱iは生産が終了してしまったが、ほぼ同じスタイルの電気自動車のi-MiEVがまだ販売されているのを忘れちゃいけない。i-MiEVの新車を欲しい方は急いだほうがいいかもしれない。
トヨタだから挑戦できた大衆車のガルウイング
■トヨタセラ 1990(平成2)年3月~1994(平成4)年12月
トヨタが1990年代の始まりに、大胆なコンセプトを打ち出して登場させたセラは、1987(昭和62)年の第27回東京モーターショーで公開されたコンセプトカー「AXV-II」を元に量産化されたコンパクトカーだ。
キャビン全体を航空機のキャノピー(風防)のごとく、キャビン全体を曲面ガラスで仕立てた「グラッシーキャビン」や当時も今もスーパーカーなどにしか見られない設計の「ガルウィングドア」の採用など、仕立ての斬新さは見る者を驚かせるに充分だった。
ボディサイズは全長3860×全幅1650×全高1265mm、ホイールベースは2300mmと、今改めてこのスペックを見ると、よくぞこんなコンパクトサイズのクルマにガルウイングを装着したなぁとビックリさせられる。
一方で、ベースとなった4代目スターレット(EP82型)の2ドアと比べると、790kgに対して890kg(5MT仕様)と100kgも車重が増加したのはガラス部品を多用した結果だ。
溢れた「挑戦」の姿勢
ガルウィングドアは正確にはルーフにヒンジを設置して上方に開くドア構造を指し、セラのような前ヒンジで開くものは“バタフライドア”などと呼ばれる。
セラの設計ではウィンドシールドとフロントピラー、ボディが結合するため強度が確保できるAピラーの付け根にヒンジを設定、横方向への張り出しを抑える工夫が施された。
ドアの振り出し量は横方向で43cm(想像以上に狭いはず)と狭い場所での駐車には有利に働いた一方で、跳ね上げた状態でのドア高さは62cm増加して約1.9mまでに達していた。
操作性については、ガルウィングドアの開閉をアシストするために、高い反発力のガス式ストラットダンパーを採用。
気候の変化などによってガス圧が変わることで影響を受けるアシスト力の変化を抑えるために、「温度補償ステー」と呼ばれる機構も開発された。
インパネ全体を一体成形したデザインとともに、上級セダン用のエアコンを装備して、日光や外気による室内温度への影響を抑える工夫が施されたほか、パワーステアリング、オートエアコン、パワーウィンドウなどを、当時の小型車クラスとしては例外的に標準装備していた(ABSはリアディスクブレーキと組み合わせてオプション設定)。
この時期はCADや新たなプレス成形法が採用され始めた時期であり、チャレンジとして相当高いレベルだったはず。
セラはトヨタでなければ生み出せなかったモデルだったと断言できる。キャビン確保などの安全面を考えれば、どのメーカーも似たような車種を出すことに二の足を踏むモデルだったのだ。
販売台数に関しては、4年ほどで1万6800台、月にすると350台程度と高級スポーツカー並みの数字しか残らなかったにしても、セラがビジネスの上では敗れたとはいえ、トヨタの地力を感じさせる“挑戦者”だったことに疑う余地はない。
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