おじさんは「セドグロ」に燃えたのよ!! 鬼の60回ローンに涙出る!? 名車Y31「グラツー」の現在地

おじさんは「セドグロ」に燃えたのよ!! 鬼の60回ローンに涙出る!? 名車Y31「グラツー」の現在地

 50代以上のおじさんがまだ若かった頃、日産には素晴らしいセダンがあった。そう、今はなくなってしまったセドリック、グロリアのグランツーリスモ(略してグラツー)である。当時憧れたおじさんは多かったのではないだろうか? 今回はY31、Y32のグラツーを振り返ってみたい。

文/ベストカーWeb編集部、写真/ベストカーWeb編集部、日産自動車

■こんなにカッコいいスポーツセダンが今あったら?

1987年6月~1991年5月まで販売。ラインナップはセドリックV20ツインカムターボグランツーリスモSV/グランツーリスモ(VG20DET型、185ps/22.0kgm)、V20Eグランツーリスモ(V20E型、125ps/17.0kgm)
1987年6月~1991年5月まで販売。ラインナップはセドリックV20ツインカムターボグランツーリスモSV/グランツーリスモ(VG20DET型、185ps/22.0kgm)、V20Eグランツーリスモ(V20E型、125ps/17.0kgm)

 プリンス自動車が1959年から販売していた「グロリア」と、日産が1960年から販売していた「セドリック」が、両社の合併により姉妹車となったのは、グロリア4代目/セドリック3代目となる1971年に発売された230系からのこと。プリンスグロリアは、上皇陛下が皇太子時代に愛車とされていたことでも有名だ。

 セドグロの愛称で親しまれた両モデルは、伝統的な後輪駆動のパーソナルセダンとして、流行のスタイリングや最新の装備を取り入れつつ、以降30年以上にわたって、ライバルのクラウンとしのぎを削ってきた。

 歴代モデルには、日本初や世界初となる技術/装備がいくつも搭載され、「技術の日産」を印象付けてきたモデルでもあった。

 しかし2004年、一時代を築いたセドグロもついに生産終了し、フーガが引き継いだ。そのフーガも2022年8月、シーマとともに生産終了。日産の高級サルーンは消えてしまったのだ。

 そのいっぽうで、トヨタは、クラウンクロスオーバー、クラウンスポーツ、クラウンセダン、クラウンエステートという4つのモデルを登場させ、新たなクラウン像を打ち出してきた。

1989年6月のマイナーチェンジで、VG20DET型2L、V6ツインカムターボが210ps/27.0kgmに向上し、トルクコンバーター式のATとしては世界初の5速ATを搭載。1990年10月にはグランツーリスモS、グランツーリスモスーパーSVを追加
1989年6月のマイナーチェンジで、VG20DET型2L、V6ツインカムターボが210ps/27.0kgmに向上し、トルクコンバーター式のATとしては世界初の5速ATを搭載。1990年10月にはグランツーリスモS、グランツーリスモスーパーSVを追加

 ではセドグロはダメなクルマだったのか? そんなことはまったくない。なかでも今回取り上げるY31は50代以上のおじさんにとっては、憧れたクルマであり、傑作といっていいと思う。

 1987年6月、7代目となるY31セドリック/グロリアに、ピラーレスハードトップのスポーツセダン、グランツーリスモが設定された。

 このグランツーリスモは、従来のブロアムに比べると圧倒的にスポーティで、「1990年代までに技術の世界一を目指す」クルマ作りを目標とした日産901運動の影響もあって、走りをスポーティに振っていて、ハンドリング性能も重視された。

 しかし、この時代、セドグロの前に立ちはだかっていたのは、言うまでもなくトヨタのクラウン。1987年に登場した8代目クラウンはバブル景気と重なり、月販台数でカローラを上回る月もあり、カローラやマークIIに次ぐ人気を誇り、特に4ドアハードトップの人気が高かった。

 1989年には「いつかはクラウンに、その想い、今こそ」というキャッチコピーが生まれる。

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