50代以上のおじさんがまだ若かった頃、日産には素晴らしいセダンがあった。そう、今はなくなってしまったセドリック、グロリアのグランツーリスモ(略してグラツー)である。当時憧れたおじさんは多かったのではないだろうか? 今回はY31、Y32のグラツーを振り返ってみたい。
文/ベストカーWeb編集部、写真/ベストカーWeb編集部、日産自動車
■こんなにカッコいいスポーツセダンが今あったら?
プリンス自動車が1959年から販売していた「グロリア」と、日産が1960年から販売していた「セドリック」が、両社の合併により姉妹車となったのは、グロリア4代目/セドリック3代目となる1971年に発売された230系からのこと。プリンスグロリアは、上皇陛下が皇太子時代に愛車とされていたことでも有名だ。
セドグロの愛称で親しまれた両モデルは、伝統的な後輪駆動のパーソナルセダンとして、流行のスタイリングや最新の装備を取り入れつつ、以降30年以上にわたって、ライバルのクラウンとしのぎを削ってきた。
歴代モデルには、日本初や世界初となる技術/装備がいくつも搭載され、「技術の日産」を印象付けてきたモデルでもあった。
しかし2004年、一時代を築いたセドグロもついに生産終了し、フーガが引き継いだ。そのフーガも2022年8月、シーマとともに生産終了。日産の高級サルーンは消えてしまったのだ。
そのいっぽうで、トヨタは、クラウンクロスオーバー、クラウンスポーツ、クラウンセダン、クラウンエステートという4つのモデルを登場させ、新たなクラウン像を打ち出してきた。
ではセドグロはダメなクルマだったのか? そんなことはまったくない。なかでも今回取り上げるY31は50代以上のおじさんにとっては、憧れたクルマであり、傑作といっていいと思う。
1987年6月、7代目となるY31セドリック/グロリアに、ピラーレスハードトップのスポーツセダン、グランツーリスモが設定された。
このグランツーリスモは、従来のブロアムに比べると圧倒的にスポーティで、「1990年代までに技術の世界一を目指す」クルマ作りを目標とした日産901運動の影響もあって、走りをスポーティに振っていて、ハンドリング性能も重視された。
しかし、この時代、セドグロの前に立ちはだかっていたのは、言うまでもなくトヨタのクラウン。1987年に登場した8代目クラウンはバブル景気と重なり、月販台数でカローラを上回る月もあり、カローラやマークIIに次ぐ人気を誇り、特に4ドアハードトップの人気が高かった。
1989年には「いつかはクラウンに、その想い、今こそ」というキャッチコピーが生まれる。
コメント
コメントの使い方60回ローン?甘いな!最長120回ローンを語ってこそ真のライターだろ!
Y31グランツーリスモSVの登場は衝撃でした。無理してでも手に入れたい程魅力的なクルマでした。それ以来、このクルマの魅力を超えるクルマも出ず乗り続けてます。この時代の日産車はどれも魅力的でした。