12気筒へのこだわりでハンドリングが悪化?「フェラーリ365GT4BB」
70年代の国内スーパーカーブームにおいて、トップクラスの人気を誇ったのがイタリアの老舗フェラーリの365GT4BB。当時のF1マシンと同じ180度V型12気筒エンジンを同じくミドシップマウントしたこのマシンは、フェラーリのフラグシップに君臨するモデルとなったが、問題はその12気筒エンジンにあった。
4.4リッターの12気筒エンジンの全長は長く、コンパクトなスポーツカーに搭載するのは少々無理があった。そこで苦肉の策として、エンジンの下にギヤボックスを置くというレイアウトを採用。巧みなデザインで外観は美しくまとめられたが、重心が高めで、ハンドリングは決して良好なものではなかった。
365GT4BBはマイナーチェンジで排気量が拡大された512BBに進化し、後継機のテスタロッサも同じレイアウトを採用するものの、最終的にフェラーリの12気筒搭載ロードゴーイングカーは1996年登場の550マラネロでFRレイアウトへと回帰してしまう。以降はFRレイアウトの12気筒マシンがフェラーリのフラグシップモデルの位置を担っている。
FFモデルから生まれた国産MRマシン「トヨタMR2/MR-S」
国産初の量産型ライトウエイトミドシップスポーツは、意外なメーカーから登場した。1984年、保守的で手堅いクルマ作りで定評のあったトヨタから、1.6リッター直4エンジンをミドシップマウントしたスポーツカー・MR2がリリースされたのだ。
MR2誕生のきっかけは、前年のカローラFF化に端を発する。1983年に登場したカローラは1.6リッター直4エンジンをフロントに横置き搭載するFFモデルとなったが、このエンジン&ギヤボックスをそのまま逆向きにして後輪の前に搭載すれば、比較的簡単にミドシップ化が可能になる。実際、この手法はイタリアのフィアットX1-9のように外国車でも採用例があり、特異なものではなかった。
コンパクトで軽快な走りを見せた初代AW10/11型MR2は人気モデルとなり、1989年には2代目のSW20型が登場する。しかし、時代の要求はスポーツカーから離れつつあり、MR2の歴史はSW20型で終わってしまう。
いったん幕を閉じたかに思われたトヨタのミドシップスポーツだが、1999年に、MR2の事実上の後継車種たるMR-Sが登場する。MR2同様にFF車のエンジン&ギヤボックスを流用し、低コストでMRスポーツを完成させたが、シートの後方に小型トランクを設け、エンジン&ギヤボックスを後方に置いたことによって、ミドシップカーとしては後ろ寄りの重要配分となってしまった。
重量配分こそ純粋なミドシップとはいえなかったものの、切り詰めた前後オーバーハングや優れたサスペンション、軽量な車体などによってMR-Sは抜群のハンドリング性能を発揮した。とはいえ、全体的やや中途半端なイメージもぬぐえず、売れゆきは好調とはいえなかった。結果的に、2007年を最後にMR-Sの生産は終了。一代限りのモデルとなった。
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