1970年代、日本の自動車メーカーは、日産自動車とトヨタ自動車の2強状態で、毎月販売台数を2社で競うほど、日産の販売は好調だった。しかし、その後徐々に落ち込み、80年にはシェア20%を割るようになり、1986年には赤字計上するまでに落ち込んでしまった。
自信をなくし、日々募る焦りや不安から、当時の日産社内の雰囲気は、決していい雰囲気ではなかったそうだ。どんなクルマをつくったらいいのか、わからなくなっていたという。
そんな折、日産は「Be-1」を出した。ご存じの通り、Be-1は大ヒットする。だが、「企画がヒットしたBe-1」は、「技術の日産」を自負していた開発エンジニアたちにとっては、悔しくてしょうがなかったそうだ。
その出来事が、「901活動」のはじまりだった。今回は、「901活動が日産に残した遺産」について、考察してみようと思う。
文/吉川賢一 写真/Nissan、Volkswagen、Porsche、ベストカー編集部
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