■セダンのあるべき姿を忘れている
日本でセダンの需要が低迷するのは、SUVの台頭によるものだと「誤解」したメーカーの企画担当者は、サルーンとしての賢さやステイタス性の進化を訴求せず「セダンに足りないのは、ユニークさや奇抜さだ」と考え、SUVの手法で存在感を強めたフロントマスクや奇抜なプロポーション変化を求めたのでしょう。
その結果、賢さを感じない、ド派手で彫りの深いメッキだらけのフロントマスクが生まれるのです。
しかし、本来のプレミアムセダンを求めるユーザーはSUV的なユニークさや奇抜さを演出したクルマが欲しいわけではありません。SUVは別のカテゴリーのクルマとして見ているということを理解していません。
クラウンがまさにその典型。プレミアムセダンの本質の追求から外れ、前型との違いやSUVに対抗して、SUVのなかで目立つクルマを作ってしまっています。ベンツCクラスやEクラス、BMW3シリーズや5シリーズがSUVに対抗しているでしょうか?
先代型までのクラウンは、プレミアムセダンのあるべき姿を維持したサルーンでした。大きく口を開けたフロントマスクは個性的ではありますが、不必要にフロントノーズを伸ばしたプロポーションではありません。
リアクォーターも太いCピラーの、しっかりとしたセダンプロポーションを作っていました。
しかし、現行型クラウンは真横からプロポーションを見れば一目瞭然ですが、前顔はSUVに対抗する存在感を演出するデザイン加飾のために延長され、“FFのアメ車”のようです。
一方リアは、グリーンハウスのガラス後端が、セダンやクーペの必須定番条件である“後輪の中心以前”ではなく、バックドア方式の5ドアハッチバックの位置まで延長されていて、さらにCピラーの基本ラインも5ドアハッチバックの形状になっています。
横からプロポーションを検証すると、中型FF車のフロントに5ドアハッチバック車のリアを組み合わせたセダン、という組み合わせになっています。
自動車開発の専門家ではないユーザーにも、「何か車格感がない普通のクルマになっちゃった」といった、声にならない購買意欲の低下が起こるのです。
こうした「鼻伸ばし」によるフロントマスクの存在感の作り方は、アメ車の手法です。国土が大きく雄大で、街並みも道路も広いアメリカでは、ちょっと鼻を伸ばしたところでプロポーションにいびつさは感じません。
ところが狭い道が多く、街並みもゴチャッと小さい日本や欧州では、この「おおらかな」プロポーションのセダンは間延びして均整を欠いて見えるのです。アメ車が日本や欧州で売れないのは、そういったことが背景にあるのです。
さらにリアクォーターウィンドウの後端位置を見てください。ベンツCクラス、Eクラス、新型Sクラスでも、BMW3シリーズでも5シリーズでも、後輪アクスルの位置にリアクォーターウィンドウ後端ラインをぴったり合わせています。
またCピラーの傾斜もリアオーバーハングの中間点に合わせています。これは何回モデルチェンジを繰り返しても不変です。
この不変の要件がFRセダンやクーペの走り感やフォーマル感を創りだしています。FRのプレミアムセダンとして、FF普及車と違う格式感を生み出しているのです。クーペのBMW4シリーズでもこの基本を守っていますし前型までのクラウンも守っていました。
自動車には車型による「格式」というものがあります。セダンはフォーマルのど真ん中にあります。これを基準とすれば、2ドアクーペはより贅沢(プレミアム)で、+50万円以上の価格を上乗せできます。ステーションワゴンもクーペに次いでプレミアム。セダンに対して30万円程度の価格プラスとなります。
一方5ドアハッチバックは実用性主体の普及版となるためにセダンより「車格が下」となるのが世界的な自動車の格式感です。クラウンは自らFF車と5ドアハッチバック車を組み合わせたようなプロポーションを採用して、プレミアムセダンの「格式」から降りてしまったのです。
大事なビジネスシーンのスーツ着用場面で、Tシャツに穴あきジーンズを着て、「これが俺のスタイルです」と場違いな自己アピールをしているような感があります。
Tシャツにジーンズは言いすぎだとしても、SUVはパーソナルやユニークが売りの商品。カジュアル&スポーティウェアです。今のクラウンはスーツではありません。
確かにベンツのGT4ドアクーペやBMWのグランクーペのような6ライトでハッチバックのようなリアスタイルのモデルはありますが、いずれも基本となるフォーマルなセダンがあるうえでの派生車型です。
ポルシェパナメーラは最初からフォーマルなプレミアムセダンを狙ったクルマではありません。ベンツやBMWの世界に対抗しようとはしていません。
クラウンはベースになるフォーマルなセダン車型を持つことなく、FF5ドアハッチバックのようなカジュアルな車型にしてしまったことで、本来の「フォーマルな社会的ステータスと賢さの演出」を望むユーザーを自ら手放したのです。「いつかはクラウン」を「いつかはメルセデス、BMW」に変えてしまったのです。
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