ニッポンのスポーツカーの最高到達点と外車スポーツカーを超えられない壁

ニッポンのスポーツカーの最高到達点と外車スポーツカーを超えられない壁

 2代目NSXとR35GT-Rが時を同じくして限定車を発表し注目を浴びた。しかもNSXは7年というスーパースポーツにしては短いモデルライフとなってしまった。画期的なハイブリッドシステムを搭載して登場したというのに、だ。

 方やGT-Rはというと幸いにして生産終了のアナウンスこそ未だなされていないものの、限定車Tスペックは14年にわたる進化のいわば到達点というべき内容で、すでに完売御礼のニスモも含め、最新のスーパースポーツに求められる進化レベルであるとはお世辞にも言えない(個人的な好みはさておき)。

 さらにはGRによるハイパーカー計画も市販寸前で海の藻屑となった今、スポーツモデル分野における日本車の“限界点”を考える良い機会であると思う。

文/西川淳
写真/トヨタ、日産、ホンダ

【画像ギャラリー】日本と海外のスーパーカー史をギャラリーでチェック!!(28枚)画像ギャラリー

■日本車メーカーはもう欧米スーパーカーブランド産を超えるスーパーカーを作ることはできないのか?

2代目NSXが日本デビューを果たしたのは2016年8月。3.5L、V6ツインターボエンジンをミドに搭載する3モーターハイブリッドの『スポーツハイブリッドSH-AWD』は新世代スーパーカーに呼ぶにふさわしい先進性を持っているのだが……。3.5L V6ツインターボ(ハイブリッド)は、エンジン最高出力507ps、エンジン最大トルク56.1kgm、モーター最高出力(前/後):37ps/48ps、モーター最大トルク(前/後):7.4kgm/15.1kgm
2007年12月に発表された初期型R35GT-Rの試乗会にて。開発責任者の水野和敏氏と開発テストドライバー鈴木利男氏。あれから約15年、R35GT-Rは日産の、いや日本の代表的なスポーツカーとして、ニュルブルクリンクサーキットタイムや0~100km/hを含めて、そのパフォーマンスを世界に見せつけた

 スポーツカー好きのみなさんのなかには、これらの日本代表選車たちが今をときめくショーヘイ・オータニ選手の如く、後々世界の頂点を極める進化を果たすと想像されていた方も多いはずだ。

 なにしろNSXはフェラーリやマクラーレンよりも早くにハイブリッドV6ミドシップスーパーカーをシリーズ化したわけだし、R35GT-Rに至っては15年前のデビュー以来、国産車として初めて“ツルシ”で、しかも極め付けのユニークさで、世界のトップランカーたちと渡り合ってきたのだから。

現行マシンのTS050のロードゴーイングマシン、GRスーパースポーツ。2.4L、V6ツインターボハイブリッド1000ps以上、価格は2億円で発売する予定だったが、2021年8月、富士スピードウェイで行われたテストにおいて、GRスーパースポーツのテスト車両が炎上し、深刻な被害を受けたのが原因で、GRスーパースポーツの開発は中止……という報道があった。トヨタが正式発表したわけではないが……。今後の動向を見守りたい

 そして、GRのハイパーカーだ。ル・マン24時間での圧倒的な強さとテクノロジーを市販車に移植する。これぞ日本のファンが待ちわびていた世界一の国産スーパーカー誕生、になるはずだった(まだトヨタが発売を中止すると正式発表したわけではないが……)。フェラーリやランボルギーニ、マクラーレンはもちろん、パガーニやケーニグセグとも渡り合える世界の頂点モデルの登場……。嗚呼、残念。

 この数年以内に欧米のスーパーカーブランド産モデルを超える国産スポーツカーが誕生する可能性はほとんどゼロになってしまった。もちろん、欧米ブランドの方向性は必ずしも日本車の目指すべき理想とは言えないし、次世代モビリティへの莫大な投資を考えれば限りある企業の資源をある意味“ムダ”な分野にまわしている余裕などないという理屈もわかる。

 一方で、そのムダにこそ(日本車または日本に足りないと言われる)文化の発芽があるのであって、そこから生まれる夢や希望がモビリティの裾野を有意義に広げていく可能性も高い。なんならフル電動スーパースポーツのNSXでもセミ自動運転のGT-Rでも良かったのだ。数年先に一縷の望みを託すことはできるのかもしれないが。

 なぜ国産メーカーは欧米のスポーツカーを超えるモデルを作り“続ける”ことができないのか。今回はその理由に迫ってみたいと思う。実は至って簡単な理屈だったりするのだけれど。

 思い返せば国産の高性能モデルが、その時代の世界に認められたのはR32スカイラインGT-RとホンダNSXが初めてだった。それ以前にも魅力的なモデルは多いけれども、そのほとんどは“今となっては”というべきクラシックカー的ノスタルジーでしかなく、決してその時代の最先端として認められていたわけではなかったし、世界から称賛されたわけでもなかった。

 有り体に言って井の中の蛙だった。逆にいうと、BNR32とNA1型NSXは違ったのだ。東の果てからいきなりやってきた、世界レベルの日本車=常識破りの驚愕ロードカーだったのだ。

専用エンジンのRB26DETTは280psと今考えると大したことはないが、当時は日本車、いや日産がここまでできるとは思っていなかったので試乗した人は誰もが驚いた
1990年に登場した初代NSX。ついに日本にもスーパーカーが誕生した!! と当時ファンは歓喜した
当時、NSXがアルミボディを採用したことで日本人して誇りに思ったものだ。栃木の専用工場で生産されるのは、1日25台が精いっぱいだった。5速MT車の販売価格は800万円、4速AT車は860万円

 BNR32はそれまでラリーなど特殊領域にのみ存在した四輪駆動の高性能車を量産ロードカーとして成立させたという点で白眉であったし、NSXもまた“デイリースーパーカー”の元祖としてフェラーリのシリーズモデル開発にも大きな影響を与えている。この二台を足して進化させたならば、例えばランボルギーニに代表される4WDスーパースポーツカーになるといってもいい。

 絶大なトラクション性能と日常のライドコンフォート&機能性という点で、今ではスーパーカーに必須の要素をこの二台が世界で初めて世に問うたのだった。

2005年にプロトタイプが初公開され、2010年から販売開始となったLFAは限定500台(全世界)が圧倒間に完売。フロントミドシップに4.8LのV10エンジンを搭載し、自然吸気式ながら560psを発生

 もう一台、忘れてはならないモデルがある。レクサスLFAだ。F1イメージの自然吸気V10サウンドもさることながら、さながら成型方法の百貨店というべきカーボンファイバーテクノロジーの数々がスーパースポーツ界に大きな影響を与えている。

 そう、一つ一つの技術とそれを商品に落とし込む経験という点で、日本のメーカーは決して二軍に甘んじていない。スーパースポーツを作る技術は十分、一軍レベルにある。

 けれども歴史を紐解いて見れば、過去にも市販されることなく終わった幻のスーパーカーが沢山あった。童夢零、日産MID4、ジオットキャスピタ、ヤマハOX99-11、etc.。いずれも自動車大国となった日本の技術の粋を集めた企画だったはずなのに・・・。そして今、その悪夢が再び繰り返されて。

林みのる氏率いるレーシングコンストラクター、童夢が開発した童夢零。1975年に開発がスタートし、1978年のジュネーブショーで世界初公開となった国産初のスーパーカー。145ps/23.0kgmを発生する日産製L28型直6をミドに搭載。しかし当時の運輸省の許可が下りず国内での車両認定ができず市販できなかった
1979年童夢零の国内でのナンバー取得を諦め、アメリカの法規に合わせた童夢P-2を2台開発し、保安基準に合わせてアウターパネルやヘッドランプ、バンパーの大型化などを行ったが、ル・マン24時間レースに挑戦するチャンスが訪れたため、P-2の発売を断念した
エンジンをミドに搭載した4WDのスポーツカーとして1985年のフランクフルトショー、東京モーターショーで発表された日産MID4。センターデフ+ビスカスカップリングを組みわせたフルタイム4WD、リアにHICASを搭載した4輪独立懸架サスペンション、230psを発生するVG30DE型3L、V6を組み合わせていた
1987年の東京モーターショーで世界初公開となったMID4-II。3L V型6気筒ツインターボエンジンのVG30DETTをミドに搭載、330ps/28.5kgmを誇った。結局、当時の日産の財務状況の悪化、市販化に向けての莫大な開発費用がかかることからお蔵入りとなった
ジオットキャスピタ1号機。1988年に服飾メーカーのワコールの出資で設立された会社「ジオット」が企画し、レーシングコンストラクターの童夢が開発・製作を行なったスーパースポーツカー。1号機は、スバルとイタリアのモトーリ・モデルニが共同開発したF1用3.5L水平対向12気筒エンジン(650㎰)を搭載
ジオットキャスピタ2号機。エンジン供給元のスバルが、F1で一度も予備予選を通過することができず撤退し、キャスピタのプロジェクトからも撤退。その後、エンジンを再検討し、イギリスのレーシングエンジンビルダーが製造したF1用ジャッドV10エンジンを搭載した2号機を完成させ、1993年に日本のナンバーも取得したが結局市販されなかった
ヤマハはトヨタ2000GT以来積み重ねてきたヤマハの四輪車技術を集大成し、F1用3.5L、V12エンジン(450ps/40.0kgm)を由良拓也氏のデザインによるエアロダイナミックボディに縦置きミドシップに搭載。運転席をセンターに配置し、その後ろに助手席のある独特のレイアウトが特徴。イギリスの熟練工によるハンドメイドで1994年の発売をめざしたが、世界的な経済変動の影響を受け、販売を断念

■海外では新興ブランドによるスーパースポーツの販売が成功を収めている

VWグループとリマック・グループが合弁会社を設立。その株式45%ぶんをVWがグループ企業のポルシェに譲渡。リマックが新会社の株式の55%を取得し、新社名はブガッティ・リマックとなった。そのリマックが開発したのが1914psのネヴェーラ(左下)
2021年7月に発表されたアストンマーティンヴァルハラ。ヴァルハラは、ヴァルキリー、ヴァルキリーAMRプロに続く第3のミドシップハイパーカーでレッドブル・アドバンスト・テクノロジー社との共同開発したもので、750psの4L、V8ツインターボエンジンにフロントとリアに2基のモーターを搭載し、システム出力950psのパワーを得ている。0221年7月から生産開始し、2022年の販売を予定している

 方やヨーロッパやアメリカ、そして中国でも、様々な高性能モデルが次々に発表されている。もちろん幻となるブランドやモデルも多いがその一方で、パガーニやケーニグセグのように一つのビジネスとして成立する新興ブランドもある。

 ブガッティ&リマックのようなダイナミックなコラボレーションも実現するし、そもそもフェラーリやランボルギーニ、マクラーレン、ポルシェといった有名ブランドが競って驚くべき高性能車を企画、開発し市販に移している。

 さらにはアストンマーティンのような老舗ブランドが、ミドシップスーパーカーブランドへ変貌するというチャレンジもある。日本とはずいぶんと違った“現実”があるではないか。一体なぜか? それが文化の違いというものなのか?

 注意深い読者なら、すでに勘付いておられることだろう。スーパーカーやハイパーカーに代表される高性能車は、あくまでも“小さな会社”から発表されている、と。ポルシェやフェラーリを小さな会社と呼ぶには抵抗があるかもしれないけれども、数百万台規模の大メーカーからすれば、たとえグループ会社であったとしても、独立した小さな組織に過ぎない。

 大メーカーには、開発する技術は十分にあっても市販化にあたっての障壁があまりにも多すぎるのだ。そう考えると欧米のジェネラルブランドが過去に企画したスーパーカーもまた幻に終わっている場合が多い。

 かのフェルディナント・ピエヒをもってしても、16気筒エンジンをミドにおいた超高級高性能車という自らのアイデアを実現するために、ブガッティという別のブランドを買って用意しなければならなかった。VWバッジではダメなのだ。

F・ピエヒVW会長の肝いりで計画されたVWのスーパーカー、W12ナルド。2001年の東京モーターショーで世界初公開。600ps/63.3kgmを発生する6L、W12気筒エンジンを搭載し、イタリアのナルドサーキットにて10の世界記録を打ち立てた。結局、市販化されることなく、W12エンジンはフェートンに採用されることになる

次ページは : ■大メーカーにはスーパースポーツの生産、販売は簡単にはできない理由