■ランボルギーニの文化、カウンタック愛の源
由緒正しきDNAとは何か。それこそがカウンタック愛の源というべきものだから詳しく説明したい。
多くの人がガンディーニデザインこそカウンタックの真髄であると言う。確かに50年前にあのカタチの出現はまるで宇宙船に見えたことだろう。奇才による奇跡のデザインには違いない。
けれども正しき血統のありか、愛の源を探るためには、なぜあのデザインをガンディーニが描いたのか、その理由まで突き止めなければならない。彼は決して思いつくままにあのデザインを描いたわけではなかった。
もうひとり、重要な人物に登場願おう。天才エンジニア、パオロ・スタンツァーニ。惜しくもすでに故人だが、彼なくしてカウンタックは生まれなかった。彼が生み出した「とあるアイデア」がなければ、ガンディーニが奇跡のデザインを描き出すこともなかったからだ。
それは長く巨大な12気筒エンジン+トランスミッションを通常のミドシップレイアウトとは前後逆にするというアイデアだ。
1960年代末にジャンパオロ・ダッラーラの跡を継いで開発部門の陣頭指揮を取ることになったスタンツァーニは、12気筒エンジンを横置きミドにしたミウラに代わるフラッグシップモデルの開発をフェルッチョ・ランボルギーニから託されていた。
ミウラの長所(=FRのようなミドシップデザイン)と欠点(=安定したパフォーマンス)はいずれもV12エンジン横置きに起因していた。そう分析したスタンツァーニは性能のほうにこだわり、エンジン縦置きを模索する。
けれどもそうするとミッションケースはリアアクスルから後方へと大きく張り出し、ル・マンカーならともかくロードカーとしては全長的にも、またトランクスペース的にももはや成立しえない。
■まずV12ミドのロマン、次にそれを実現させる開発
巨大なパワートレーンをどうすれば縦置きリアミドにできるのか。12気筒にこだわるスタンツァーニはパワートレーンごと「ひっくり返す」という奇策を思いつく。この時点ですでに将来の4WD化も彼の頭のなかにはあった(ディアブロから採用される)。
運転席と助手席を隔てるように逆向きのミッションケースが鎮座し、巨大なV12エンジンはかろうじてリアアクスルの前に収まった。そしてF1マシンのようなサイドラジエター方式を採用。そんなスタンツァーニのアイデア、つまりはLPレイアウトにガンディーニは似合うスタイリングを描いた。
2名分の乗車スペースとリアには立派なトランクさえ設けられた。カウンタックの象徴というべきシザードアなどは、「その方法しかドアの開閉ができない」という必然のアイテムであった。
奇跡のレイアウトあってこその、奇跡のスタイリング。
■LPの血統
1971年、プロトタイプが誕生した。昨年2021年はその50周年。ランボルギーニ社では当初、ミウラ40周年の時のようなコンセプトカーを作るつもりだったのだろう。ところが、エンジニアリングチームとデザインチームが市販可能なロードカーに執着したらしい。
サイズやデザインだけを考えたなら、V10エンジンを積んだウラカンをベースにすることもできたはずだ。けれども開発陣は安易な道を選ばなかった。それこそ「クンタッチ」ではなくなるからだ。
どれほどガンディーニデザインに肉薄しようとも、ひょっとしてさらに格好よく優れていようとも、ウラカンをベースにすればそれはもはや「カウンタック」ではない。
なぜならスタンツァーニのLPレイアウトを採用していないからだ。ガンディーニがカウンタックを生み出した源がないからだ。カウンタック愛の源だ。
スタンツァーニのLPレイアウトこそ、引き継がれしDNA。カウンタックによって基礎が固められたモダン・ランボルギーニのブランドイメージを司る根本なのだ。
それゆえLPレイアウトのアヴェンタドール&シアンをベースに、オマージュを作り上げた。由緒正しき血統を彼らは決して忘れていなかった。
モダン・ランボルギーニにおけるディアブロ以降の全てのフラッグシップモデルは、名を変え、姿を変えたカウンタックだった。であれば、半世紀の節目にその名前を復活させて悪い話などどこにもない。わずか112台の限定車、50年の祝祭にふさわしい、それは神輿だったろう。
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