日産には「技術の日産」という標語があり、ホンダには「パワー・オブ・ドリームズ」の標語がある。
近年、それらの言葉は忘れられがちのところがあり、例えば日産なら「やっちゃえ日産」、ホンダなら「サイコーにちょうどいいHonda」のほうが、耳慣れた宣伝文句かもしれない。
しかし、企業の姿勢を示す標語をまさに体現したクルマが現れると、我々は嬉しくなり、またホッともし、そして乗ってみたいという気持ちになるのではないだろうか。
日産とホンダは独創的な技術や夢を与える車で多くの人々を惹きつけてきた。
現状に対して「俺たちの日産・ホンダはどこへ行ってしまったんだ」というファンの声も、両メーカーに対する期待値が高いことの裏返しだろう(もちろん「俺たちのホンダ、俺たちの日産なんてものはとっくに消えている」だとか、あるいは「そんなもの最初からなかったんだ」というクルマ好きが多くいることも承知している)。
俺たちの日産・ホンダ“らしさ”とは何なのか? そして、現状の何が物足りなさを生んでいるのか? 両社を体現する過去の技術・車から考えたい。
文:御堀直嗣
写真:編集部、NISSAN、Honda
「技術の日産」を体現したスカイラインGT-Rとプリメーラ
技術の日産を体現した一台は、R35型GT-Rではないだろうか。日産が持つ技術の粋を集めたGTカーであり、時速300kmで普通に会話できる操縦安定性と、猛烈な出力を併せ持つクルマだ。その造形もまた、他に類を見ない独自性がある。
それでも、より幅広い世代の心に深く浸透しているのは、R32型スカイラインGT-Rではないか。その系譜は、R34型GT-Rへとつながっていく。では、なぜ、R32 GT-Rがそれほどまで人の心をつかんで離さないのだろう。
理由の一つは、R32 GT-Rが、当時のグループA規定によるレースで勝ち、選手権を制覇することを目的に開発されたことにある。スカイラインという乗用車の利便性より、クルマの本質的な運動性能を極めた形や構造が設計された。
例えば、新車が登場するたびに車体は大柄になる傾向があるが、R32のスカイラインは、GT-Rの復活を前提にあえて小型化されたほどだ。
強い目的意識によって構想し、技術の粋を集めたのがR32 GT-Rであり、ハコスカとケンメリ時代以降途絶えていたGT‐Rの称号の復活と併せ、人々の心をときめかせた。なおかつ、当時の世界のグループAの競合を圧倒する成績も残し、無敵といえた。
また、R32 GT-Rの誕生とともに、日産車が技術力を明らかにした新車に、P10型初代プリメーラがある。
「プリメーラパッケージ」の言葉が生まれたほど、このクルマは5ナンバーのFF車として徹底した合理化が行われ、一台の4ドアセダンで実用性を極めるのみならず、FF車の走行性能においても世界に打って出るほどの実力を発揮した。実際、欧州でプリメーラを買いたくても納車が間に合わないといった人気も博した。
技術の日産という企業の特徴を体現したクルマの誕生が顕著だったのが1980年末から90年にかけての時代であった。
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