いまではすっかりファミリーカーの定番となった「ミニバン」。ただ、ミニバンが現在のポジションを獲得するにあたり忘れてはならないのが「エスティマ」の存在だ。2020年に惜しまれつつ販売終了となった同車ではあるが、その独特の魅力ゆえに復活を望む声は、いまも多いという。エスティマがもたらした功績と販売終了となった背景を振り返ろう。
文:立花義人、エムスリープロダクション
写真:TOYOTA
近未来デザインとMRレイアウトで業界をざわつかせた初代
エスティマが初お披露目となったのは、1989年に開催された第28回東京モーターショーだ。
「プレビア(エスティマの欧米での車名)」という名で参考出品されたもの。
トヨタの北米デザインスタジオが手がけたフォルムは、フロントの先端からボンネット、フロントガラス、ルーフ、リアセクションに至るまでなだらかな弧を描く「ワンモーションフォルム」で構成されており、斬新極まりないものだった。
パッケージングも斬新だった。フロア中央部下にエンジンを75度、ほぼ横に寝かせて搭載することで広い室内空間を確保。
また、重たいエンジンを車両重心の傍に配置したことで、ミッドシップレイアウト独特のゆったりとした乗り心地やハンドリングも実現されていた。
ターゲットとしていたのは、当時ミニバンカテゴリーが急伸していた北米市場。ただ、バブル経済に沸く日本でも高級ミニバンとして発売されることとなり、モーターショーの翌年である1990年に発売となった。
見た目とパッケージングの斬新ぶりによって、鳴り物入りでのデビューとなったエスティマであった。
だが、ターゲット市場だった北米では、2.4L 直4エンジンが非力だとされ、受け入れられず、日本市場でも、ボディサイズが大きすぎるうえに価格が高いとして、人気は振るわなかった。
ただ国内では、1992年に登場した、エスティマの全幅を1700mm以下にして5ナンバー枠に収めた「エスティマルシーダ」/「エスティマエミーナ」が大ヒット。一躍人気車へ躍り出た。
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